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	<title>映画保存協会</title>
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	<description>映画保存協会は映画フィルムを文化財として保存する活動に取り組んでいるNPO法人です。</description>
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		<title>フィルムアーカイブ物語</title>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2012 16:02:40 +0000</pubDate>
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	<dc:subject>フィルムアーカイブ物語</dc:subject>
	<dc:subject>世界の映画保存</dc:subject>
	<dc:subject>映画保存を知る</dc:subject>
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		<description><![CDATA[2009年に出版された韓国映像資料院のフィルムアーキビストによる『フィルムアーカイブ物語』の日本語版を順次掲載いたします。
翻訳・掲載を快諾してくださった著者のオー・ソンチさんに心より感謝いたします。
Sungji OH. Stories of the Film Archives. KOREAN FILM ARCHIVE, 2009.（翻訳：TL）
【更新履歴】
2012.05.16 掲載：第四章「『その顔は過去に向いている』—『根源を目指して』」（９．ブエノスアイレス会議参加記）
2012.02.23 掲載：第三章「痕跡もしくは破片を求めて」（８．映画の考古学：痕跡を求めトリノへ）
2012.02.21 掲載：第三章「痕跡もしくは破片を求めて」（７．短命映画規格の保存学的研究）
2011.12.02 掲載：第三章「痕跡もしくは破片を求めて」（６．ジグゾーパズル）
2011.11.30 掲載：第二章「映画フィルム」
2011.04.14 掲載：序文、第一章「フィルムアーカイブ小史」
まえがき
　「フィルムストーリー叢書」とは、さまざまな主題の映画、知識、情報をよりわかり易く伝えるため、韓国映像資料院が2007年から発刊しているポケットブックシリーズで、初版である《韓国映画史》を筆頭に7冊が刊行されました。そしてここに、さらに2冊をその目録に加えます。
　叢書の8冊目となる《フィルムアーカイブ物語》は、映画フィルムの魅力にはまり、フィルムアーキビストの道を歩むこととなった韓国映像資料院のプログラムチーム長、オー・ソンチ（王聖智）の経験談を通じて、フィルムアーカイブに関する豊富な知識と情報をリアルに伝えます。映画フィルムとフィルムアーカイブに関心を持つ方のために、適切な案内書となるでしょう。
　9冊目、《映画帝国 シン・フィルム —韓国映画企業化に向けた夢と挫折》［＊未訳］は、韓国映画史をひっくるめて重要な映画企業の一つであった「シン・フィルム」の勃興と衰退過程を掘り下げることによって、韓国映画史における映画企業の意味と歴史を垣間見るという試みです。
　「フィルムストーリー叢書」は韓国映画、そして韓国映画史のさまざまな主題を、各著者の個性的で自由奔放な形式を込めて、ポケットブック1冊ごとに出すこととなります。これから先、叢書が漸次目録を増やしながら、まるでモザイクのような、精巧なディテール、豊富な解釈とともに韓国映画史の大きな画を完成させていく所存です。
2009年11月　韓国映像資料院 院長　イ・ビョンフン
韓国映像資料院（KOFA）紹介
　韓国映像資料院（KOFA）は貴重な文化遺産である映像資料を、国家的な次元で収集・保存する韓国唯一の機関として1974年に設立されました。
　KOFAは、私たちの映像文化遺産を最適な環境で保存・復元し、後代に永久に伝えるための基盤づくりに全力をあげ、多くの国民が映像文化を積極的に享受できるよう、1991年からシネマテーク運動を始め、今日に至ります。そのほかにも、韓国映画史の過去と現在を一目で理解できる「映画博物館」、映像資料を先端技術の環境下で便利に鑑賞できる「映画資料室」を運営しております。
　また、新たなデジタル時代を迎え、デジタル映像資料の収集、デジタル技術を利用した復元、アナログ資料等のデジタルアーカイブ化といった事業を遂行しており、映画史研究及び出版事業を通じた韓国映画研究の普及に努めています。
目次
序文
第一章　フィルムアーカイブ小史
　１．最初のフィルムアーカイブ ビッグ4
　２．国際フィルムアーカイブ連盟：FIAF
第二章　映画フィルム
　３．ナイトレート・フィルムを取り巻く様々な噂
　４．物質としての映画フィルム
　５．映画フィルムの上でちらつく何か
第三章　痕跡もしくは破片を求めて
　６．ジグソーパズル
　７．短命映画規格の保存学的研究
　８．映画の考古学：痕跡を求めトリノへ
第四章　『その顔は過去に向いている』—『根源を目指して』
　９．FIAFブエノスアイレス会議参加記
　１０．ボン無声映画祭参観記
　１１．パブストの1925年作『喜びなき街』復元物語
　１２．幼少期に私を虜にした彼女たちとの遭遇
　１３．幼い頃の映画遊びをテンプルホールで
第五章　フィルムアーキビストもしくはキーパー
　１４．Old &#038; Wise
　１５．Young &#038; Innocent
第六章　韓国映像資料院で働く
　１６．フィルムアーキビストになる
　１７．私の夢をポケットに詰め込んで
付録
１．用語整理
２．フィルムアーカイブ関連書籍
３．主要フィルムアーカイブ目録
序文
　誰もが恋愛をすると、聞き手ががうんざりしてしまうほど自分の好きな人のことばかり長々と話してしまいがちだ。私がフィルムアーカイブの物語をあちこちに書いたのは、フィルムアーカイブに対する私の沸き起こる思いのためである。ある哲学者が「理性は熱情の侍女である」と言ったように、人間は理性的な動物であり、理性こそ我々が堅持すべき基本だが、私を鼓舞する力は熱情であった。
　2002年9月に韓国映像資料院に就職し、9月で満7年になった。一つの職場で7年働けば、サバティカルを通して自分の成果を整理する時間が与えられるように、私も7年勤めた後、その間に積み上げた経験を整理し、何かしてみたかった。心惜しいのは、フィルムアーカイブ運動が誕生した場所も、そして私が映画保存を勉強した場所もやはり欧米であったから、アジア地域のフィルムアーカイブを殆ど語れなかったことである。日本、中国、台湾、香港、シンガポール、ベトナムの映画フィルムについて、そして韓国映像資料院について長く話をする機会があることを望むばかりである。
　私の熱情を持続的に燃え上がらせたのは、フィルムアーカイブ運動に興味津々だからでもあるが、火が消える一歩手前で、再び火を灯してくれた何人かの先生方のおかげでもある。この場を借りて、その先生方にお礼の言葉を伝えたい。遠く離れているが、朝夕心配してくださるS先生には、とくに心から感謝している。
第一章　フィルムアーカイブ小史
去る2008年4月、第64回国際フィルムアーカイブ連盟（FIAF）パリ会議は、360名あまりのフィルムアーカイブ関係者たちが集まる中で開催された。しかし70年前、ここパリで初めて開かれたFIAF会議に参席したフィルムアーカイブは、たった4つの機関だけであった。

１．最初のフィルムアーカイブ ビッグ4
　第64回国際フィルムアーカイブ連盟（FIAF）会議が、去る2008年4月末、パリのシネマテークフランセーズで開かれた。正会員及び準会員の承認に続き、「フィルムアーカイブと著作権法」を主題としたシンポジウム、アフリカ地域の現況を議論するワークショップが開かれた今回の会議には、360余名のフィルムアーカイブ関係者が参席した。本当に多くのフィルムアーカイブが集まったものだ。
　しかし70年前、ここパリで第1回目の会議が開かれた際に参席したフィルムアーカイブは「Original Big Four」と呼ばれる4つの機関であった。正確には、1938年6月17日、ニューヨーク近代美術館（MoMA）傘下のフィルムライブラリーのアイリス・バリーとジョン・アボット、ライヒスフィルムアルヒーフ（ベルリン）のフランク・ヘンゼル、シネマテークフランセーズのアンリ・ラングロワ、そして英国の国立フィルムライブラリーのオルウェン・ボーンが集まり、第1回となるFIAF会議を開いたのだ。
　この4つのフィルムアーカイブは映画文化が発展した国家の大都市に設立され、非営利目的で映画フィルムを収集し、上映するという点において類似していたが、各々が独特な性質を有していた。まず1935年2月、ドイツのベルリンで設立されたライヒスフィルムアルヒーフは、国家が運営するフィルムアーカイブであった。1933年、権力を掌握したナチスは、レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』（1935年）、『オリンピア』（1938年）をはじめとする多くの映画を党の宣伝用に普及し、自身らの永遠の「帝国の勝利」に関する記録を残すために、適正な条件下でこの資料を保管しなければならなかった。政府の手厚い財政支援を受けながら成長したこの機関は、1940年、第3回FIAF会議の準備もしていたが、第二次世界大戦時に破壊されるという、不運な運命に耐えなければならなかった。戦後、この場所に所蔵されていた映画フィルム資料の一部だけが、東ドイツへと移送された。
　同年、ニューヨークに拠点を置く私設機関であるMoMAは、ロックフェラー財団を後援としてフィルムライブラリーを運営することとなる。このフィルムライブラリーは、フィルムの保存よりも活用を通じた映画研究に焦点を合わせた。近隣の大学と小規模なシネクラブ（フィルムソサエティ）に、小額の費用をもらい映画フィルムを貸し出し、映画上映と討論を活性化させ、その結果、米国の大学の映画教育が発展したと言ってもあながち間違いではない。この全ての活動を主導した人物こそがアイリス・バリーであった。MoMAでライブラリアンとして働き始めた彼女は、ハリウッドの大手映画会社を説得し、フィルム資料を彼女のフィルムライブラリーへ移しただけでなく、ナチスのライヒスフィルムアルヒーフを説得し、ドイツ国内でポルノ映画として扱われた＜嘆きの天使＞を除いて、多数のフィルムを持ち帰った。
　それから一年後の1936年9月、フランスのパリでシネマテークフランセーズが公式に扉を開ける。当時21歳だった映画狂、アンリ・ラングロワが、1949年に『獣の血』というドキュメンタリーで監督デビューした23歳のジョルジュ・フランジュと共に、自分たちだけのシネクラブをフィルムアーカイブへと昇格させたのだ。しかし、ラングロワは伝説的なシネフィルらしく、収集した映画や所蔵した資料をどう目録化するのか、そしてどう保存するのか、悩む時間も無かった。彼は情熱的に映画フィルムを集め、より多くの人にみせることを優先した。彼の1回目のプログラムはエプスタインの『アッシャー家の末裔』（1928年）、ヴィーネの『カリガリ博士』（1920年）、レニの『最後の警告』（1929年）であったが、ラングロワはシネマテークの中での映画に対する論争を許さなかったとされる。
　ラングロワがシネマテークフランセーズで映画を上映することに全ての情熱を注ぐ一方で、その年、英国ロンドンで「フィルムの永久的な価値を保管する場所」として創立された国立フィルムライブラリーは、保存することを第一の目標とした。1933年に設立された英国映画協会（BFI）に所属するこのフィルムライブラリーは、設立以来、フィルム保存技術の開発のために努力を尽くした。この保存を最優先とする政策はある程度アーネスト・リンドグレンの影響であったが、ラングロワが巨体の映画狂であったならば、リンドグレンは痩身で端正、内向的なフィルムアーキビストであった。彼はナイトレート（可燃性）フィルムを安全なフィルムへと不燃化し、永久的な保存に全ての関心を向け、フィルムの収集もいくらか選択的に行った。
　1930年代末に設立された上記のフィルムアーカイブの歴史を見ると、フィルムアーカイブの形態と争点が如実に現れる。フィルムアーカイブはライヒスフィルムアルヒーフのように国家の財政で運営される国立のフィルムアーカイブと、MoMAのフィルムライブラリーのように、私設機関が寄贈と基金を受けて運営する私立のフィルムアーカイブの二種類に大別され、この後、市が運営する市立フィルムアーカイブ（ミュンヘン）、大学が運営する大学附属フィルムアーカイブ（UCLAのフィルムアーカイブ、パシフィック・フィルムアーカイブ）など、多様なフィルムアーカイブが設立された。財政がどこから支出されるかによって、収集の方向性が変わり、運営原則にも差異が生ずる。さらに、資料の発掘、収集、復元、保存、活用のうち、どれに重点を置くのかに関する選択の問題、財政と人手の限界という是非もない状況で、どの作品から収集し復元するのかといった、また違った問題が現れる。この問題は70年が経過した現在でも、未だに「大きな」問題であり、この問題の答えを探すのも容易ではない。

画像（上）：第64回FIAFパリ会議シンポジウム
画像（下）：BFIサウスバンク

２．国際フィルムアーカイブ連盟（FIAF）
FIAF70周年マニフェスト「映画フィルムを捨てないで」
　2008年のパリ会議でFIAFは70周年を迎え、マニフェスト「映画フィルムを捨てないで」を作成し、各会員国に発送した。1938年、4カ国のフィルムアーカイブからスタートして、2009年には77カ国、正会員84、準会員65の総計149のフィルムアーカイブで構成されたことを鑑みれば、長足の進歩を遂げたのだ。時代が変わる間、FIAF加盟フィルムアーカイブが200万点を超える映画フィルムを復元したが、未だに特定の時期や地域の映画フィルムの保存率は10%にも及ばない。韓国だけを見ると、1910年代、1920年代の映画フィルム保存率は0%で、1930年代の映画フィルムの保存率は6.8%に留まっている。しかし、特定時期の映画フィルムの保存率が低くても、デジタル作業によって映画フィルムの復元技術は持続的に発展し、最近では復元映画を主題とした映画祭が流行している。（2009年、FIAF加盟フィルムアーカイブであるリュミエール・インスティテュートが始めたリヨン映画祭にしても、復元映画だけを上映する映画祭である。）
　しかしデジタル技術の発展がフィルムアーカイブに肯定的にのみ作用するわけではない。当初アナログ媒体で誕生した映画フィルムであるから、デジタルファイルに変換され保存されたとしても、本来の媒体であるフィルムは「そのままの状態」で保存されなければならない。デジタル媒体は急激に変化する技術であるから、媒体だけでなく、運営体制を持続的にアップグレードする必要があるが、アナログ媒体であるフィルムは湿度・温度管理をしっかり行えば、長期間安全保存できる。よってFIAFは、フィルムがデジタル媒体に変換・保存されたとしても、その「本来のフィルム資料を廃棄してはいけない」と宣言した。これこそ本然の任務をもう一度確認しようとする、熱望の表出といえるだろう。
FIAFの組織構造及び活動内訳
　現在、ベルギーのブリュッセルで事務局を運営するFIAFは、年に一度、全加盟国が集まって会議を開き、当面の主要課題を議論するシンポジウムとワークショップを同時進行させる。傘下には技術委員会、目録／ドキュメンテーション委員会、プログラミング／資料活用委員会を置いているが、1960年代に設置された技術委員会の場合、フィルム保存マニュアル及びフィルムアーカイブにおけるフィルム取り扱い時の留意すべき事項に関する資料集を発刊した。目録／ドキュメンテーション委員会の場合、1968年にスタートし、FIAF国際フィルムアーカイブ・データベースを運営している。プログラミング／資料活用委員会は1991年開始、シネマテーク活動に関連する事項、つまり著作権問題、観客の発掘などについても、深く議論している。また各地域別に会議を開き、アジアの場合、韓国映像資料院、東京国立近代美術館フィルムセンター、中国電影資料館、香港電影資料館、国家電影資料館（台湾）、ベトナムの国立フィルムアーカイブ、シンガポールのエイジアン・フィルムアーカイブ等が参加するFAFA（Forum of Asian Film Archives）会議などを開催している。『Journal of Film Preservation』は5名の編集委員会が年に2度発刊しているジャーナルである。このジャーナルはPDFフォーマットで、FIAFのウェブサイトからダウンロードして閲覧できる。また、教育プログラムとして、フィルムアーキビストを養成するための、FIAFサマースクールを1973年から運営している。
　長い間、ヨーロッパと北米地域のフィルムアーカイブが主導してきたFIAFが、2009年東京会議で東京国立近代美術館フィルムセンターの主幹、岡島尚志氏を会長として選出したことは、おそらく、この間、アジア地域におけるフィルムアーカイブの旺盛な活動とアジア映画の驚くべき成長に支えられたからであろう。FAFA会議と、オーストラリアを含む東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合 SEAPAVAA（South East Asia-Pacific Audio-Visual Association）の旺盛な活動に期待しよう。
第二章　映画フィルム
映画について話せと言われれば、私はアセテートやポリエステルでできた帯の上に化学反応を起こして素敵なイメージを創り出す映画フィルムについて話すだろう。自分の手で直に感触を確かめ、匂いを嗅ぎ、大きなスクリーンに投射することもできる映画フィルムについてである。
３．ナイトレートフィルムを取り巻く様々な噂
　2008年4月、FIAFパリ会議に参加したときに遭遇したのは、やや大げさに言うと世界で最も美しい場面だった。一面に黄色いたんぽぽが咲いたCNCのナイトレートフィルム保管庫である。危険だという理由で、1950年代に生産中止となったナイトレートフィルムの花が満開だなんて!
噂1：ナイトレートフィルムの呪い &#8211; 「火事だ！」
　フィルムベースにナイトレートセルロース（硝酸）が使用されいているナイトレートフィルムは、1889年、イーストマン・コダックが発売。映写機とカメラのスプロケットに耐えうる堅固なこのフィルムには、致命的な弱点があった。化学構造上、一度火がつくと酸素を放出しながら燃えてしまうのである。さらに温湿度が上がると、密閉された缶の中で自然発火してしまうほど可燃性の高い物質で、一度火がつくと水でも消すことができない。これにより1897年5月4日、パリの慈善団体のバザー会場において上映中に死者180名を出す大火災が発生した。その翌年、ロンドンのスタフォードでも火災が発生したことを受け、その直後の1898年と1900年に映画上映に関する市議会法が導入され、1909年に映画法が制定された。この大火災は映写機の中でナイトレートフィルムが発火することに起因したものだが、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』（1989）の主人公トトが愛した劇場が燃えてしまったのも、これが原因である。この呪いは続き、1911年ロシアのボロゴエでは100余名が死亡し、トルコのイズミルでも同じく100名あまりが命を落とした。最近では、1982年3月24日午後6時、メキシコシティーの国立フィルムアーカイブ（Cineteca Nacional）の保管庫で火災が発生し、翌朝まで14時間燃え続け、所蔵資料の99％が灰と化し、消防士1名の命も奪った。英国では1933年、ロンドン南部に位置する現像所で火災が起き、国立フィルム&#038;TVアーカイブ（NFTVA）及び他機関のフィルムが灰と化し、パリのシネマテクフランセーズ (1980年8月3日)、米国NY州ロチェスターのジョージ・イーストマン・ハウス (1978年5月29日) もやはりナイトレートフィルムによる火災で膨大なフィルムを失った。
　オーソン・ウェルズは「フィルムはある性質を有している。それは自己破壊的であることだ。フィルムアーキビストの役割はそれを予測し防ぐことである」と発言した。ニューヨーク近代美術館(MoMA）のキュレーターであるリチャード・グリフィスも、フィルムの自己破壊的性質によって眠りにつくことができないなどと発言しているが、それならナイトレートフィルムの呪いをフィルムアーキビストたちはどのように防いだのか? もしや布石でも!? 1,000フィート程度のナイトレートフィルムを摂氏41度の密閉した空間に17日ほど保管すれば、明らかに火災によって消滅するであろう。しかし適正な環境下で保存すれば、1950年代から広く普及したアセテートフィルム（不燃性フィルム）に劣らず「長寿」なのである。1950 年代以前に製作されたフィルムが、未だに存在する事実がそれを証明しているし、アセテートフィルムはビネガーシンドロームという厄介な難病を抱えている。いずれにしても温湿度の調節が重要であるが、ナイトレートフィルムを長期間保存するためには、白黒フィルムの場合、摂氏10度以下・相対湿度20～50％、カラーフィルムだと摂氏0度以下・相対湿度20～30％の環境で保管しなければならない。この状態を維持すれば1941年に生産されたコダックのナイトレートフィルムが100 年、1933年に生産された同社のナイトレートフィルムが500年、1932年に生産されたデュポンのナイトレートフィルムが600年保存可能だそうだ。また、ガスと熱放出のため、通気性の高い缶に入れることが基本中の基本である。

　しかし、一度ナイトレートフィルムに化学的変化が始まれば、急速に劣化し始める。まずはじめに乳剤層の画が失われ、ナイトレート特有の臭いを放ち、その後、乳剤層が光沢を帯び、気泡が発生する。この段階を経た後フィルムは固まり、最終的に橙色の粉となる。結局のところ、火災と消失を防ぐには、複製を不燃性フィルムで作っておくしかない。大部分のフィルムアーカイブが複製作業を最優先としたのも当然の帰結である。そして、適切な温湿度の保管庫に置き、定期的に点検しなければならない。ジョージ・イーストマン・ハウスでは、フィルムアーカイブの建物があるロチェスターから少し離れたノース・チャイライという町にナイトレートフィルムを保管している。このルイス B. メイヤー・コンザベーション・センターの12の保管室には、2600万フィートのナイトレートフィルムが保存されているが、このフィルムの中にはエジソン、グリフィス、リュミエールの作品も含まれており、『風と共に去りぬ』（1939年 ヴィクター・フレミング監督）、『オズの魔法使』（同）、『若草の頃』（1944年 ヴィンセント・ミネリ監督）などの作品が保管されている。米国議会図書館は、バージニア州カルペパーに新たに建設したパッカード・キャンパスの124室ある保管庫にナイトレートフィルムを保存している。フランスのCNCでは、1990年に「ナイトレート計画」という企画案を作成し、首相及び財務長官の承認を受け、ナイトレートフィルムを復元・保存している。復元されたフィルムとオリジナルのフィルムは、ボワ=ダルシーの保管庫に保存されるが、年100万フィートのナイトレートフィルムが復元されている。
噂2：ナイトレートフィルムはいかにして致命的な呪縛から逃れたのか?
　東アジア地域のナイトレートフィルムはどのように保管されているのだろうか? 日本の場合、35mmナイトレートフィルムは殆ど残されていない。映画会社が不燃性フィルムでコピーを作り、原版を捨ててしまったからである。それなら韓国は? [...]]]></description>
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		<title>レコードの適切な取扱いと保存方法</title>
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		<pubDate>Tue, 01 May 2012 12:27:05 +0000</pubDate>
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	<dc:subject>映画保存資料室</dc:subject>
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		<description><![CDATA[視聴覚資料の二つの大きな柱に、〈映画フィルム〉を含む「動的映像 Moving Images」と「音声記録 Sound Recordings」とがあります。ここでは映画フィルムの世界を離れ、初期の音声記録である〈レコード〉の保存について考えたいと思います。尚、本稿を作成するにあたって、児玉優子様（学習院大学大学院アーカイブズ学専攻非常勤講師）、筒井弥生様ほか多くの方々にご助言をいただきました。心より感謝いたします。
最終更新日 2012.05.04
はじめに：〈レコード〉の定義の難しさ
日本において〈レコード〉という呼称は、1904年に初めて文献に現れ、戦前にすっかり一般にまで普及していたようですが、戦時中は敵性語を避けるため「音盤」となりました。狭義の〈レコード〉とは、螺旋状に刻まれた溝に音を記録したディスク（円盤）を指し、再生にはターンテーブル（レコードプレーヤー）を使用します。例外もあります。〈レコード〉の初期の形態は、ディスク状ではなくシリンダー（円筒）型でした。本稿では定義を曖昧にしたまま〈レコード〉という言葉を採用し、主に戦前に普及したシュラック製の〈レコード〉をSPレコード、戦後SPに代わって普及した塩化ビニール製の〈レコード〉をLPレコードと表記しています。この言葉は広義に解釈されることもあり、例えば日本の著作権法第二条（定義）には「蓄音機用音盤、録音テープその他の物に音を固定したもの（音をもつぱら影像とともに再生することを目的とするものを除く）をいう」とあります。つまり、同法ではカセットテープやCDも〈レコード〉です。一般社団法人日本レコード協会もキャリアの種別を問わず、いわゆる音楽ソフト全体を〈オーディオレコード〉としています。『日本目録規則 1987年版 改訂3版』「第6章 録音資料」（日本図書館協会）は、資料の種別を表す用語に「録音ディスク」、記録方式に「アナログ」を使用していますので、これに従えば「アナログ方式の録音ディスク」と記述すべきでしょうか。
1 メディアの概要
（1）歴史、特長
〈レコード〉は欧米を中心に発明・改良されました。「【A】レコードの歴史（簡易年表）」の通り、「フォノトグラフ」という世界初の録音システムはレオン・スコットによる1857年の発明で、振動板に油煙の煤を塗った豚の毛を付け、音声を紙の上に波形として記録しました。当時はまだ再生機能がありませんでしたが、現在ではこれを12秒の音声ファイルとして聴くことができます（フランス民謡『月の光』）。世界初の記録と「再生」方式は、1877年にシャルル・クロスが論文上で発表したのとほぼ同じ仕組みでエジソンが実演に成功し、同年12月6日（後の「音の日」）に特許を得た「フォノグラフ」です。この最初期のレコードは、当初は直径約8cmの真鍮の筒に錫箔を巻いたシリンダーを使用しましたが、1887年に錫の代わりに鑞を使った「グラフォフォン」が発明され、ワックス・シリンダー（鑞管）が登場。さらにディスク式が広く普及し、これが後のLPレコードの原型となりました。
【A】レコードの歴史（簡易年表）




1857
「フォノトグラフ」レオン・スコット（仏） 《世界初の音声記録システム》


1876
ベルの電話機発明によって音の再生が可能になる 〜複数の研究者が再生可能なレコードを発明〜


1877.04
「ディスク式フォノグラフ」シャルル・クロス（仏）


1877.12.06
「シリンダー式フォノグラフ」エジソン(米) 《世界初の再生可能なレコード》


1887
「グラモフォン（ディスク式）」エミール・ベルリナー（独→米）


1906
両面に音溝を持つディスクの登場 〜1910年頃までにシリンダーからディスクに切替わる〜


1948
コロンビアレコード社（米）、世界最初のLPレコード市販


1949
RCAビクター（米）、世界最初のドーナツ盤市販


1978
LP生産ピーク




ここで気になるのは、国内におけるレコードの受容です。時系列に沿ってごく簡単に記すと次のようになります。
蓄音機／蓄音器を初めて取り上げたのは、1877（明治10）年の『学びの暁』第27号 &#8211;「人声を発す機会の発明」と紹介された。
翌（明11）年7月26日に発行された同人社文学雑誌は、「蘇言機ノ事」という見出しで蓄音機／蓄音器を紹介（最初期の和訳は「蘇言機」のほかに「写声機（平円盤）」「写話機器」「蘇定機」など）。
同年1月16日（後の「録音文化の日」）、東大理学部において国内初の録音・再生実験が行われた。このとき使用されたエジソンのフォノグラフと同じ仕組みをもつスコットランド製の機材は、2004年に重要文化財に指定され、上野の国立科学博物館地球館2階に複製品が常設展示されている。
続いて発明されたグラフォフォンを1889（明治22）年の「官報」が最初に紹介。
1891（明24）年、愛知岡崎の時計職人・中条勇次郎が蓄音機の国産第1号を製作。
日本初の蓄音機専門店「三光堂」が東京浅草に開業したのは、1899（明32）年。
1910（明43）年には日本初のレコード会社、株式会社日本蓄音器商会（ニッポノホン）」（日本コロムビアの前身）が起業。
国内の裕福層にレコード文化が徐々に普及し、大正期にはレコード著作権も確立されました。1951（昭26）年に日本コロムビアが日本で初めてLPレコードを輸入発売するに至り、SPレコードからLPレコードへと時代が切り替わっていきました。LPレコードの生産は現在でも続き（国内では横浜市鶴見区の東洋化成が有名）、都内のアナログレコード専門店の数は、ネットショップを除いても190を超えています。愛好家が多く存在し、ターンテーブルやレコード針といった消耗品も楽器店などで容易に入手できることなどから、レコードは主要メディアとは呼べないものの、旧式化しているとも言い難い位置付けにあります。
【参考文献】 倉田喜弘. 日本レコード史. 岩波現代文庫. 2006. 318 p. http://d.hatena.ne.jp/filmpres/13610001 前島正裕（国立科学博物館理工学研究部研究主幹）. 音の博物館 蘇言機：日本で最初に音を記録再生した器械. 日本音響学会誌 65(2), 2009. p.105.
【参考ウェブサイト】 レ・コード館HP（北海道新冠町）[www.niikappu.jp/record]
（2）用途
発明当時、音楽用途はほとんど想定されなかったようです。例えば、エジソンはフォノグラフを「視覚障害者を補助するため」に考案したとされています。映画の世界では、無声映画からトーキーへの変革期にアンプが発明されると、映写機と蓄音機を連動させるレコードトーキー方式が普及しました。かつては家庭や教育現場での音楽鑑賞用、BGM、語学教材、放送用メディアとして様々に使用されていましたが、カセットテープやCDが汎用メディアとなって以降、愛好家による音楽鑑賞用、クラブDJ用など、使途は限定されています。
【フォノシート／シートレコード】 朝日ソノラマの登録商標「ソノシート」としても知られる。アシェット社（仏）が開発し、世界で初めて雑誌の付録として販売したものだが、日本では朝日新聞が凸版印刷とタイアップして「音の出る雑誌」として出したのが最初だった（1959年）。新聞の印刷用の輪転機を応用し、大判のビニールシートを回転させてプレス・裁断する方法で生産。一般的には17cmのディスクが多く、音質は決して良くないが製造コストが安いため重宝され、後期にはステレオ化や両面再生にも対応できるようになった。通常のターンテーブルで再生できるが、ペーパークラフトや自走式による専用の再生機も発売された。薄いため折り目が付きやすく、盤面が歪んで針飛びの原因になりやすい。国内での生産は2005年に終了した。 『季刊アナログ』17・18号（音元出版 2007-2008）に掲載された菅野沖彦氏（オーディオ評論家／元朝日ソノプレス社社員）の発言より

2 メディアの仕組み
（1）材質と構造
SPレコード、LPレコードおよびドーナツ盤に関しては、「【B】レコードの材質と構造」にまとめました。SPレコードは1955年頃まで製造されたモノラル記録です。LPレコードと同じサイズのEPレコード（Extended Playing）も45回転で、ドーナツ盤含む45回転盤をEPと称する場合もあるようです。EPの音溝は1インチあたり240本以上、片面の再生時間は7分以上です。高音質LPレコードとしての45回転盤も少数発売されました。このほか、SPからLPへの過渡期に放送局が使用した「アセテート盤」があります。「玉音放送」の録音にも使用されましたが、この材質のレコードは極めて劣化しやすく、繰り返しの再生にも耐えられません。NHKの放送博物館に展示されている玉音レコードの複製も、ごく初期から再生不能になっていたと言われ、長期保存を想定していなかったことは明らかです。同じく過渡期には、塩化ビニール製のSPレコードも製造されたようです。
【B】レコードの材質と構造



種別
SPレコードStandard Playing78回転
￼￼￼LPレコードLong Playing33 1/3回転
ドーナツ盤 シングル45回転


英語圏の呼称
￼￼￼￼￼￼￼セブンティエイト
￼￼￼￼￼￼バイナル
￼￼￼￼￼セブンインチ


材質
￼￼￼￼シェラック＝ラック貝殻虫の分泌物を主成分とする混合物
￼硬質の塩化ビニール樹脂


外径￼￼￼￼
主に25cm/30cm
￼￼￼￼￼￼17cm


厚さ
2mm前後
-


音溝
幅約0.15mm
￼￼￼幅0.05mm以下
 ￼￼￼￼1インチ（2.54cm）に220本前後


片面の録音時間
￼￼25cm盤で3分〜3分20秒30cm盤で4分半〜5分
￼￼￼25cm盤で20〜23分30cm盤で30〜35分
￼￼￼3分半


中心穴
-
通常7.3mm
￼￼￼￼38mm￼￼￼￼￼￼



東南アジアを原産とする天然樹脂のシェラックは戦時中に輸入が止まりましたが、1930年代後半に人造樹脂が開発され、ようやくこれに置き換わりました。
（2）記録と再生の仕組み
・《記録》の仕組み SPレコードもLPレコードも同じく、ディスク上に刃で凹凸を刻みます。LPの場合は、まずアルミのディスクに専用の機器で音溝（グルーヴ）を刻み、マスターディスクを作成します。次に、このマスターディスクから取った「型」に溶かした塩化ビニールを流し込みます。この生産工程は大抵の場合「プレス」と表現されます。


・《再生》の仕組み SPレコードの場合、回転するディスクの音溝から針が拾いあげた振動を、サウンドボックス内のダイアフラム（円形の振動盤）が中心で受け取り、波紋のように全体に均等に伝えることで音が再生されます。その音を拡大するのがラッパ型のホーンの役割です。エジソンの蓄音機のホーンは直線的な形をしていますが、後に音の伝わり方に抵抗が少ない曲線へと改良され、それまで出なかった低音・高音も再生可能になりました。針に使用されたのは鉄や竹です。LPレコードの再生も、基本的な仕組みは同じですが、音はアンプで電気的に増幅してヘッドフォンやスピーカーに出力します（もっとも、ターンテーブルに耳を近づければ微かに音を聴くことができます）。LPレコード用の針の寿命は、サファイアで30時間、ダイアモンドで500時間（現在流通しているものは、ほとんどダイアモンド）とされています。音溝の振動は、外から中に向かって針でトレースします（SPレコードには、中から外にトレースするタイプもあります）。近年では、レーザー再生する非接触型の再生機（市販品）もあります。
（3）破損や劣化の要因
アナログメディアの劣化の要因は、① 機械的ダメージ、② 生物学的ダメージ、③ 化学的ダメージに分けて考えることができます。① は再生時の事故（主に音溝の埃やゴミに起因する傷など）、音溝の磨耗や裂け、② は高温多湿の気候や手垢・手脂に起因するカビの発生、③ は熱による変形（歪み）、帯電防止剤の化学変化による劣化などです。レコードの場合、本体以上にジャケット、帯、ラベル、ライナーノーツなど、紙素材の劣化も深刻です。SPレコードと LPレコードそれぞれの劣化については、「【C】レコードの劣化」にまとめました。
【C】レコードの劣化



種別
《SPレコード》
《LPレコード》


傷
￼￼￼￼￼￼比較的つきにくい
￼￼￼￼音溝が細く、埃が付着しやすいので傷がつきやすい


割れやすさ
￼￼￼￼弾力がなく割れやすい
￼弾力がありほとんど割れない


反りやすさ
￼￼￼￼反りやすい￼￼￼
反りやすい


耐熱￼￼￼￼
比較的強い￼￼￼￼￼
弱い


水分
比較的強い
￼吸収すると変質することもある


重さ￼￼￼￼LP
LPより重い（30cmで約400g）
￼￼￼￼￼SPより軽い（30cmで約130g）※重量版（180g）もある


埃
すぐとれる
￼つきやすく、とりにくい（盤面と針の摩擦による静電気）


針圧￼￼￼￼
70-80gまで耐えられる
10g以下でないと傷む


カビ￼￼￼￼
生えることがある
生えることがある



【参考文献】 Jerry McWilliams. The Preservation and Restoration of [...]]]></description>
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		<title>助成金の記録</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Apr 2012 11:56:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nakagawa</dc:creator>
		
	<dc:subject>FPSからのお知らせ</dc:subject>
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		<description><![CDATA[会員一同、以下の助成団体の皆さまに心より感謝しております。小会の活動は、各種助成金と皆さまの寄付によって支えられています。今後ともどうぞよろしくお願いします。
2009年4月1日〜2011年3月31日
ハウジングアンドコミュニティ財団　住まいとコミュニティづくり活動助成（特別助成）
「蔵再生：谷根千アーカイブズの創設」1年目1,000,000円／2年目1,000,000円
2009年4月1日〜2010年3月31日
日本科学協会　笹川科学研究助成
「小型映画フィルム調査のための技術と資料の研究」200,000円
2008年4月1日〜2009年3月31日
トヨタ財団地域社会プログラム
「蔵再生：地域アーカイブ創設」800,000円
2007年6月1日〜2008年5月31日
中央ろうきん助成プログラム
「地域にまつわるフィルムの発掘・調査と公開事業」300,000円
2007年4月1日〜2008年3月31日
トヨタ財団 地域社会プログラム
「蔵再生：地域アーカイブ創設」1,000,000円
2007年4月1日〜2008年3月31日
ハウジングアンドコミュニティ財団　住まいとコミュニティづくり活動助成（一般助成）
「蔵再生：地域アーカイブ創設」900,000円
2006年6月1日〜2007年5月31日
中央ろうきん助成プログラム
「地域にまつわるフィルムの発掘・調査と公開事業」300,000円
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		<title>報道・掲載されました 2012</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 04:57:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>filmpres</dc:creator>
		
	<dc:subject>報道・掲載されました</dc:subject>
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		<description><![CDATA[小会の取り組みをご取材くださった皆さまに、心より感謝いたします。
【学研 映像カタログ・4月】
小会によるコラム「視聴覚ライブラリー所蔵16mmフィルムのこれから」が、『学研 映像カタログ』（VOL.21 p. 122）に掲載されました。
【東京新聞したまち版・3月23日（金）】
「情報コーナー」に、「文京映像史料館 巡回上映会 フィルムに残る文京のくらし vol.004 礫川（後楽・春日・小石川）篇」の告知が掲載されました。
【KBS京都・2月4日（土）】
「桂塩鯛のサークルタウン」というラジオ番組で、ホームムービーの日（HMD）京都会場の世話人がHMDの取り組みを紹介しました。
【朝日新聞・1月9日（月祝）】
「戦時下の津島 映像資料に」という記事の中で、ホームムービーの日（HMD）名古屋会場が紹介されました。2010年の第8回HMD名古屋会場で上映された16mmフィルムを津島市立図書館がDVD化し、郷土資料として収蔵したそうです。フィルムの持ち主は名古屋市昭和区の写真家 河辺育三さんです。
フィルムの内容（記事より抜粋）：尾張地方で毛織産業を興した「片岡毛織株式会社」の「映画撮影部」が1939〜43年にかけて撮影。創業者の銅像が戦時供出で街を引かれていく様子、防空演習、戦傷者慰問、勤労奉仕の稲刈り、津島神社の祭り、社内運動会などが記録されたフィルム全8巻のうち2巻は「南洋視察」。同社の社長が、衆院議員や画家ら地元の名士を伴い、日本の支配下にあった太平洋の島々を訪ねた大旅行の貴重な映像。
【第4回恵比寿映像祭ウェブサイト・1月8日（日）】
Yebizo フォーラムの「映像をめぐる言葉」（アンケート）に回答を寄せました。
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		<title>総会のお知らせ</title>
		<link>http://www.filmpres.org/archives/6942</link>
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		<pubDate>Fri, 20 Apr 2012 05:41:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>filmpres</dc:creator>
		
	<dc:subject>FPSからのお知らせ</dc:subject>
	<dc:subject>イベント情報（国内）</dc:subject>
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		<description><![CDATA[[ 2012/5/13; ] NPO法人映画保存協会の2012年度定例総会を下記の日程にて開催いたします。どうぞよろしくお願いします。

日時：2012年5月13日（日）午後1時～
場所：映画保存協会事務所（谷根千 記憶の蔵）
議題：１．2011年度の事業および収支報告
　　　２．2012年度の事業計画および予算の承認
　　　３．理事の変更の承認]]></description>
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