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アイリーン・バウザーが語る「専門職としてのフィルムアーカイブ活動」

2006-09-10 | filmpres | trackback

聞き手:ロナルド・S・マリオッツィ

はじめに

フィルムアーキビストとしての、また国際的なフィルムアーカイブ運動の旗手としてのアイリーン・バウザーの経歴は、ちょうど20世紀後半の50年間に重なる。ニューヨーク近代美術館(MoMA)フィルムアーカイブといえば、国際的にも多大な影響力をもつフィルム・コレクションだが、その責任者の地位についたバウザーは、美術館の内部組織としてアーカイブを運営するという特異な経験を積んだ。折しも、国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)がその委任事項や出版方針についての基礎を固めつつあった時期に、FIAF実行委員を務めただけでなく、映画史家としての一面も持つ彼女は、フィルムアーキビストと映画研究者の相互協力を促した。その動きは1970年代以降、古典映画史の再構築をの一助となる。今回のインタビューでバウザーは、専門職としてのフィルムアーカイブの成熟過程を証言してくれた。

アイリーン・バウザーがオハイオ州コロンビア・ステーションにアイリーン・パットとして生まれたのは1928年1月18日のことだった。マリエッタ・カレッジで英語と芸術学を学び、チャペル・ヒルにあるノース・カロライナ大学大学院で、ティントレット*の「サン・ロッコ同信会館聖堂内および建物の連作装飾画」を扱った論文で美術史の修士号を取得した後、1954年、バウザーはリチャード・グリフィスの秘書としてMoMAフィルムライブラリーの一員となった。フィルムライブラリーを創設したアーキビストであるアイリス・バリーに次いで、リチャード・グリフィスは二代目のフィルム・キュレーターだった。1966年にフィルムライブラリーがフィルム部門(Department of Film)と改称してほどなく、彼女はアソシエート・キュレーターとなった(※1)。おもな著作に、アイリス・バリー(著)「D.W. Griffith, American Film master」(1965年 MoMA)の改訂版**、ジョン・カイパーとの共同編集である「A Handbook for Film Archives」(1980年 FIAF)、そして「The Transformation of Cinema, 1907-1915(History of American Cinema vol.2)」(1990年 Scribner)がある。

(本文中の*は原注、は訳注を示す。)

* ティントレットはルネッサンス盛期の画家。www.salvastyle.comに紹介あり。

** D.W. Griffith, American Film master」(1965年 MoMA)の改訂版。アイリーン・バウザーは映画題名リストの注釈を担当した。

【人物紹介】リチャード・グリフィス(1912-1969):映画史家、評論家。1951‐1965年:MoMAフィルムライブラリー キュレーター。アイリス・バリー:(1895-1969)1932-1935年=MoMA図書館司書、1935-1946年=フィルムライブラリー キュレーター、1946-1950年=フィルム・ライブラリー ディレクター。彼女の夫であるジョン・エヴァンズ・アボット(1908-1952)はフィルム・イブラリーの初代ディレクターを勤めた(1935-1946)。

※1 アイリーン・バウザーは1967年にフィルムライブラリーのアソシエート・キュレーターになり、1976年にフル・キュレーターになった。1970-1973年までフル・キュレーターを勤めたのはドナルド・リチーだった。したがって彼は4代目のキュレーターであるが、フル・キュレーターとしては3代目である。

関連サイト

ニューヨーク近代美術館, MoMA
森美術館:MoMAの歴史

Oral History Project; interview with Eileen Bowser, 2000.
© The Museum of Modern Art Archives, New York.

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