NFC岡田秀則研究員に聞く「アーキヴィストの仕事」
2002/9/4 | admin | trackback3.FCでの仕事
FCという場で働くことによって他ではできないようなことが可能になる一方で、逆にできないことというか、制約のようなものはありますか?
今やっていることは意義のあることだと思いますが、日本ではアーキヴィストの自立性というものがないですね。まだまだ仕事が分化していない。フィルムを集めるには各映画会社との関係作りは不可欠だし、一方で厳密なアーキヴィストの態度も必要であるし、異なる顔を三つも四つも持たなければならない。それは不幸なことでもありますよ。
うまく言えないのですが、プロとしての仕事上の選択に(例えばプログラムを組むときなど)自分の趣味を持ち込まないよう気を配ることはありますか?
それはないです。趣味は出します。自分が上映すべきと思う映画をキュレーターとしての存在を賭けて支持するわけで、それは悪いことではないと思います。
FCは独立行政法人になったそうですが具体的に変わったことがあれば教えてください。
国の予算から切り離されたので、支出と収入がリンクするようになりました。以前だったら入場料金は国庫に入って、予算は予算で別にもらっていた。でも今後は受益者負担という発想が出てくるべきだと思うんです。つまり利用者の方から何かのお金を受け取るなら、「かくかくしかじかの映画保存事業にこのお金を使います」というように、意味を付ける必要があります。
もし復元を目的とした資金が得られるとしたら、どのようなプロジェクトを立ち上げるおつもりですか?
お金の出所はさっぱり思いつかないですが、僕は日本の文化映画やドキュメンタリーの総合的な復元をやりたいですね。ネガがないものまるごとネガを作るとか、ウエット(注 ウエットゲート・プリンティング・プロセス:傷となっているフィルム上の「窪み」をフィルムと同じ屈折率の液剤によって埋め、新しいプリント上では傷を見えなくするという技術)を使ったり、16mmからのブローアップとかもやりたいですね。
あとどんな作品でもいいですが、海外の復元専門現像所に依頼して、サイレント映画の本格的な復元プリントを作ってみたいですね。
全てを復元するのは無理となるとプライオリティーの問題もあると思うのですが……。
例えば、戦後の産業映画・教育映画といったものですね。ドキュメンタリー界の人たちとも話をして復元すべきものを選んでゆきたいです。スポンサーとなっている企業とも話を進めてゆく必要があるでしょう。あるいは古いものから片っ端にという手もありなんじゃないでしょうか。となると本当に古いものはFCにしかないので、予算を取って自家複製ということになりますが。絶対面白いと思います。
ニュース映画も含まれるんですよね。
もちろん。ニュース映画の世界は面白いのですが、ひどいもので、戦後のフィルムでもかなり失われているのですよ。ある会社からは「うちのニュースリールがいかに酢っぱいか」(注 ビネガー・シンドローム:フィルム劣化が進行し酢酸臭が出ること)なんて話を聞かされていますし。
アーキヴィストというお立場になってから今までで、最も印象に残っているお仕事についてお聞かせください。
横須賀で満鉄の『秘境熱河』の一部を見つけたとか、フィルム発見の話も当然印象深いのですが、FCへの外部の方のアクセスの話もあります。NHKのドキュメンタリー『日本映像の20世紀』への協力は印象に残っています。これは全国47都道府県の歴史を貴重な映像でつづって各45分番組にしたものなんですが、かなりFCの映像を使っているんです。ある時期はほとんどつきっきりでフィルムの検索につきあったりしました。あれはとても貴重な経験でしたね。フィルムが残っているからこそできる番組だということをそのときに強く感じて・・・。だから、収集・保存する意義とは別にアクセス者に対してこんなことができるのか、という面白さを初めて知りました。
それから、FCには現像所はないのでIMAGICAさんとか育映社さんとか、外部の業者さんと現像や復元の仕事をするわけで、そういう現像所の方とのコミュニケーションも勉強になりますね。
あと、FCの活動を新たな形で理解していただいたという意味で印象深い仕事は、日本のドキュメンタリーの上映企画「フィルムは記録する」です。途中の98年から参加して2001年にもやったんですが(詳しくはFCニューズレター35号 2001年1-2-3月号「特集1:フィルムは記録する2001」) 、普通の映画ファンだけでなく、記録映画会社の人や日本のドキュメンタリーを支えてきた多くのスタッフに観に来ていただいて、それがきっかけで業界とFC との信頼関係が徐々に生まれてきたように感じています。
これまで各会社の原版は現像所が無料で預かっていたのですが、最近は有料化せざるを得なくなっています。ニュープリントを焼くこともなかなかないのに、捨てるわけにはゆかないし、民間の倉庫に預けるのもお金がかかる。著作権者であればフィルムの一時出し入れもできる、ということなら、いっそFCに寄贈したらどうかという新しい動きが出てきたんです。これは理性的というか、FCを積極的に活用する一つの手段だと僕は思います。モノをあげちゃうわけだから、かなりの不安も伴うのは分かるけれど、お互いの利害を一致させてフィルムの散逸を防ぐという意味では、ワンステップ踏み込んだという感じがします。
業界と国の関係って、その国ごとに事情はまったく違っているんです。ヨーロッパのいくつかの国では国家がどんどん援助して映画を作り、フィルムの保存もそのシステムに組み込まれたりする。ところが、日本の戦後映画は徹底的な自由市場で、国の出る幕はなかったわけです。それが、こんなに建設的に話し合えるようになったかと思うと、この仕事は印象深いものの一つですね。
まだまだ興味深いお話が出てきそうですが、今日はこの辺で終わりたいと思います。貴重なお話を沢山ありがとうございました。
インタビューを終えて
私がアーカイヴの仕事を学んだGEH映画部門ではシニア・キュレーター、アシスタント・キュレーター、フィルム・テクニシャン、プリザベーション・オフィサー、ボルト・マネージャー、カタロガー、プログラマー、シッパー、映社技師、シアター・マネージャー等の総称として「アーキヴィスト」という言葉が使われていました。しかしFCでは映写技師こそ独立した肩書きを持つものの、残りのスタッフはほぼ「キュレーター=アーキヴィスト」とでもいうのか、岡田さんのお話にもあるように、純粋にキュレーター的な仕事のみに没頭できないのが現状のようです。GEHが「収集と保存」を中心に据えたアーカイヴであるのに対してFCは「上映」主体ということもできるかもしれません。映画研究及び現像所の技術は非常に高い日本ではありますが、両者のリエゾンとなるべきポジションが確立されるのはまだまだ先のことになりそうです。しかし資金・人員不足にもかかわらずFC研究員の方々は一人何役もの大役をこなして日々ご尽力なさっていることが今回はよく理解することができました。
最後に、超多忙スケジュールの中、インタビューを快く引き受けてくださった岡田さんに感謝いたします。また、こちらの不手際であれこれお手を煩わせましたことをお許しください。
(2002年1月16日午後9時より 銀座コージーコーナーにて 聞き手:石原香絵)
