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路地裏の映画保存活動[海外篇]

2008/12/12 | filmpres | trackback

published on 2008.9.14
2008年8月31日(日)、映画保存協会(FPS)は「第3回映画の復元と保存に関するワークショップ」(於:京都府京都文化博物館)に参加し、日頃の活動の一部を紹介しました。その内容を以下に掲載します。

last updated on 2008.12.11
2008年12月6日(土)、地域研究コンソーシアム情報資源共有化研究会主催の「地域研究における映像の保存と活用の可能性」(於:京都大学・稲森財団記念館)で発表をおこなうにあたり、内容を補足しました。

映画の里親制度の原点 “Adopt-a-Film”

FPSは2004年、戦前の家庭用無声劇映画の復元プロジェクトを《映画の里親》と名付けました。元を正せばこの名称は、フィルム・アーキヴィストにお馴染みのキャッチフレーズ、またはキャンペーン用語である “Adopt-a-Film” を独自に解釈して取り入れたものです(フィリピンのフィルム・アーキヴィスト団体SOFIAやハーバード・フィルム・アーカイヴなどに先例が見受けられます)。未だ映画保存を学ぶ環境が整っていない日本で、映画の発掘から復元・上映を経て長期的な保存環境の確保に至る長い道のりを初心者に体験させることこそ、《映画の里親》の主要な役割です。このプロジェクトを通してFPSの会員は、フィルム技術者や映画史家らと出会い、映画保存を巡る国内の厳しい現実を学びつつあります。

《映画の里親》について、詳しくはこちらをご参照ください。

里親(資金提供者)を募ることのほかに、復元資金を獲得する手段が現在のFPSにはありません。全米映画保存基金(NFPF)や全米芸術基金(NEA)などにより、毎年数多くの映画が復元されている米国とはずいぶん事情が異なります。例えばNFPFは、1996年より 176団体所蔵のフィルム1,322本を 救いました。救われる映像は氷山の一角にすぎませんが、長期継続することで確実に成果は蓄積されます。

例)
全米映画保存基金
NFPF:NATIONAL FILM PRESERVATION FOUNDATION
2008年の対象作品:31団体所蔵のフィルム52本

作品:

ジョセフ V. スタンバーグ監督の長編デビュー作『救ひを求むる人々 The Salvation Hunters』(1925)、トム・ミックス主演のサイレント西部劇、ジェローム・ロビンスの舞台『ゴルトベルク変奏曲』の記録映像、ネイティブ・アメリカン初の映画監督であるジェームズ・ヤング・ディアの1910年代の作品 ほか

基金を受けるアーカイヴ、博物館、大学等:

アラスカ映画保存協会、アンソロジー・フィルム・アーカイヴズ、バッファロー・ビル歴史協会、シカゴ・フィルム・アーカイヴ、ジョージ・イーストマン・ハウス、ルイジアナ州立博物館、NY近代美術館(MoMA)、国立自然史博物館、ノースイースト・ヒストリック・フィルム、イェール大学 ほか

これら基金に加えて同じく米国では、毎年末のお楽しみとして25本のフィルムが文化財として登録されます(ナショナル・フィルム・レジストリー)。さらに、欧米には映像アーキヴィストを養成する学校もあり(当サイトのリンク集「学ぶ」を参照のこと)、映画保存を専攻する学生に特化した奨学金も複数用意されています。優秀な学生が復元専用ラボや映像アーカイヴにインターンとして送り込まれ、NFPF、NEA、メアリー・ピックフォード財団などからの資金提供で復元を任され、映像アーキヴィストとしてデビューすることもあります。こうした基金の、あるいは文化財登録の対象となるフィルムは、MoMAやUCLAなど大規模な映像アーカイヴに所蔵されている劇映画だけではありません。例えば、小規模なフィルム・コレクションを所有する地方の博物館であっても応募することができ、選ばれるジャンルはドキュメンタリーに実験映画からアマチュア制作のホームムービーまで、多岐に渡ります。

例)
ナショナル・フィルム・レジストリー(1989〜)
2007年の25本

バック・トゥー・ザ・フューチャー(1985)
Bullitt (1968)
未知との遭遇 (1977)
恋に踊る (1940)
ダンス・ウィズ・ウルブズ(1990)
天国の日々 (1978)
Glimpse of the Garden (1957)
グランド・ホテル (1932)
孤独な場所で (1950)
リバティ・バランスを射った男 (1962)
Mighty Like a Moose (1926)
裸の街 (1948)
情熱の航路 (1942)
オクラホマ! (1955)
Our Day (1938)*
Peege (1972)
The Sex Life of the Polyp (1928)
当りっこハリー (1926)
三匹の子豚 (1933) アニメーション
乗合馬車 (1921)
Tom, Tom the Piper’s Son (1969-71)
十二人の怒れる男 (1957)
The Women (1939)
嵐ケ丘 (1939)

2007年度のナショナル・フィルム・レジストリーのリストに “Our Day“(1938)という作品が含まれます。これはケンタッキー州のアマチュア作家が平凡な中流家庭の日常を記録したホームムービー(12分)です。実は《ホームムービーの日》という国際的な記念日が、このフィルムの発掘のきっかけをつくりました。前年の2006年にもやはり《ホームムービーの日》を通して、ダウン症の少年の成長記録 “Think of Me First as a Person”(1960-70s)が25本の中の1本に選ばれています。

HMDとは無関係ですが、アマチュア映像として2000年のナショナル・フィルム・レジストリーに選ばれた作品に “Multiple Sidosis”(1970年)があります。

地域のフィルムは地域で守る “Home Movie Day”

FPSが初年度の2003年(豊橋・福岡にて開催)から国内で普及につとめる《ホームムービーの日(HMD)》は、現在、世界11カ国、国内12会場で開催されるまでに広まっています。次回は2009年10月17日(土)です。

《ホームムービーの日》について、詳しくはこちらをご参照ください。

各地でHMDを切り盛りするオーガナイザーを日本では「世話人」と呼びます。日本のHMD世話人は誰一人としてプロの映像アーキヴィストではありません。日本以外の国では、あくまでも専門的な知識や技術を持った映像アーキヴィストが主導するイベントであり、会場もベルリン映画博物館、アンソロジー・フィルム・アーカイヴズ、テキサスやフロリダ等地域映像アーカイヴの数々、イタリアの国立ホームムービー・アーカイヴなど、いざとなったら行き場のないフィルムを引き受ける体制が整っています。ましてや米国では、発見から数ヶ月後に国家の文化遺産として登録される可能性まで用意されているのです。

方や日本では、何ら組織的な後ろ盾もなく、HMD開催を決めるまでフィルムを触ったことがなかった/映写機の操作法も知らなかったという世話人も珍しくない状況です。適切な保存施設もありません。これは日本のHMDの最大の特徴であり、極めて興味深い点でもあります。会場数は多いものの、集団で同じところを走っているようにみえて、実は欧米から何周も遅れているわけです。世話人と並走しながら小型映画のインスペクション技術を磨き、機材確保も含めて上映環境を整えていく過程で、必要に迫られて生まれたのがFPS小型映画部です。

FPS小型映画部について、詳しくはこちらをご参照ください。

1つ1つのHMD会場は規模こそ小さいものの、世話人は日本各地で「フィルムを捨てないでください」というメッセージを発信しています。地元の博物館や視聴覚ライブラリーで一旦は廃棄処分になったフィルムを、瀬戸際で救った世話人も実際にいます。東京都台東区では地域映像アーカイヴ事業準備室が始動していますし、変化の兆しがないわけではありません。地域や家庭の映画フィルムの煙滅に危機を感じ、実践的な活動に取り組む世話人は、未来の地域映像アーキヴィストとしてのポテンシャルをじゅうぶん備えているように思われます。FPSも、ノースイースト・ヒストリック・フィルムのカラン・シェルダン氏、スコティッシュスクリーン・アーカイヴのジャネット・マクベイン氏はじめ、遥か先を行く地域映像アーカイヴやアーキヴィストたちの仕事に強い影響を受けています。これから、一足飛びに追いつくことが果たしてできるでしょうか。

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