[復元報告]第四回映画の里親 霧隠才蔵[パテベビー版]の復元
2007-11-22 | filmpres | trackbackStage Two
インスペクション、テレシネ
実際の作業の手始めとして、フィルム・インスペクション及びインタータイトル計17枚の抜き書きと英訳をおこないました。パテベビーのインタータイトルはフィルムの回転を一時停止して読ませる仕組みのため、元々数コマしか付いていませんし、そのまま上映しても文字情報を画面上で読み取ることは不可能です。これはフラッシュタイトルと呼ばれ、35mmナイトレートの復元でも別の理由から度々問題になります。しかし読める長さにコマ伸ばしをするとパラ・キズが定位置で固まり、極めて不自然なフローズンタイトルになります。この不自然さをいかに回避するかが今回の復元を進めるにあたって、もっとも高いハードルになりました。
次に特殊クリーニング(画像右半分 before、左半分 after)とテレシネ*を東京光音に発注しました。東京光音との出会いも実はソンチがきっかけでした。都内で8mmのテレシネ業者を探していたソンチと2人で見学に出かけ、特殊クリーニングのデモもそのとき拝見していたのです。
*9.5mmのテレシネ発注先としては京都の吉岡映像設計事務所もあります。
テレシネ版はクリーニング前と後の2種作成し、かつコマ伸ばし作業もお願いしました。このとき伸ばしたタイトルの長さは持ち主であり弁士でもある坂本頼光さんに確認していただき、後の35mmの復元版にも生かしました。フラッシュタイトルのままテレシネしなかったことは失敗で、今となっては復元前の何も手を加えていない状態と復元後の比較ができません。この時点で(A)欠落しているトップタイトルを補うこと、(B)エンドマークの後に出る不明瞭な映像(画面が暗く内容は確認できない)を復元版から除くこと、そして(C)インタータイトルの位置調整をおこなうことを決めました。インタータイトルは全体的に左寄りでフォントが大きく、上下がフレームからはみ出すなどバランスを欠くものでした。
作品の判別
(A)タイトルを補うにはオリジナル題名を判別しなくてはなりません。「霧隠才蔵」という題名の映画は1930年以前に少なくとも5本製作されています。
1. 日活(京都)1915年 尾上松之助
2. 日活(京都)1919年 尾上松之助
3. 日活(京都)1922年 尾上松之助
4. 帝国キネマ 1922年 嵐璃徳
5. 国活(東京)1920年 沢村四郎五郎、市川莚十郎(「岩見重太郎と霧隠才蔵」)
小型化の際に改題されることはむしろ稀ですが、主演が明らかに尾上松之助でも嵐璃徳でもないことから、いささか製作年が古いものの5.の可能性が高いとの結論に一旦は達しました。そこで当時の国活(国際活映株式会社)や天活(天然色活動写真株式会社)作品を中心に、東京国立近代美術館フィルムセンターに特別映写を申請しました。費用の¥20,000-(¥5,000-/30分)もCHIFFSにご提供いただき、小会の会員及びこのプロジェクトに関わる外部の協力者の顔合わせも兼ねるものとしました。
しかし参加者のお一人である映画研究者・冬樹薫さんのご指摘で四郎五郎でないことは即時明らかになりました。プレスリリースの発行も迫っていたことからオリジナル題名の特定はあきらめ、補足題名として「霧隠才蔵[パテベビー版]」を採用しました(左画像参照)。これはラベルにある手書きの題名(旧劇 霧隠才蔵)とエンドマーク直前の17枚目のインタータイトル=「斯くして 霧隠才蔵は 己が急ぎの 旅を續けた」によるものです。
題名もわからない正体不明の作品にCHIFFSが納得してくれるのかと不安も過りましたが、冬樹さんの「あなた今、ご覧にならなかったの?これは復元しなきゃだめよ」というお言葉に勇気が湧きました。
一部の会員や協力者は改題を前提に文献調査を継続し、澤登翠さんほか多くの方に情報を提供していただきました。大阪芸大所蔵の題不明玩具映画の中に「霧隠か猿飛か?」という作品があったので、太田米男教授のご協力で内容を確認したものの、まったく異なる作品でした。努力虚しく、2007年11月の時点で公表できるのは、帝キネ(帝国キネマ演芸株式会社)による1920年代作品で冒頭の女優が潮みどりではないか、という心許ない推測のみです。
上映メディアの(苦渋の)選択
恨めしいのは映写速度です。CHIFFS側はフィルム上映を望んでいました。しかし適正映写速度(16fps)は実現不可能だといいます。適正映写速度でないとフィルム上映はできない旨主張し、最終的に上映メディアはデジベータに落ち着きましたが、映写速度さえ可変であれば35mm版の出品を最優先したことは言うまでもありません。後に今田さんが「それでいいよ、早送り気味で上映して無声映画ってこんなもんか、なんて思われるの悔しいじゃない」とおっしゃって、ようやく踏ん切りがついたものの……
映写機のメーカーと型式を確認し、改造についてはその分野に詳しい映像アーキヴィストの知人に調査を依頼する段取りまで万端でした(機種によってはそれほど難しくありません)。しかし会場が複数の映画館に分散していたことや、開催間際まで劇場が確定されなかったことなどから、この方法に現実味はありませんでした。通常営業が優先される小屋で勝手に映写機をいじるわけにはいきません。小会と同一プログラム(Tales about film preservation)のはずだったUCLAはどういうわけか出品をキャンセルし、上映回数も2回から1回に、上映日も週末から平日に、午後から午前にと、規模は縮小されました。その時点でフィルム上映は完全にあきらめました。
それだけに活弁とピアノ伴奏付きの上映だけはなんとしても実現したく、そのための調整には力が入りました。お忙しいスケジュールの中、坂本さんに続き無声映画伴奏者の柳下美恵さんもCHIFFS参加を快諾してくださり、度々の予定変更にも柔軟に対応してくださいました。手持ちマイク、台本を置く台、手元明かり、弁士登場の音楽、ピアノのあるリハーサル室の手配、万一アップライトのピアノが借りられない場合のキーボードとアンプの確認など、CHIFFS側との細かいメールのやりとりは延々と続きました。理想の上映形態に近づけるためにあらゆる手を尽くしてくださった事務局のキム・ユジュンさんはじめ映画祭スタッフの皆さんには感謝の言葉もありません。
上映用データの制作
上映媒体がフィルムでないと決まり、上映用データ制作の重要性が急遽増しました。このデータは35mm復元版をテレシネしたものではなく、より画質の高い東京光音のテレシネ版を小会が独自に加工したもので、これをDVDに焼いてIMAGICAウェストにも参考資料としてお渡ししました。
追加したのは小会ロゴ、里親クレジット、そして(A)欠落していたトップタイトルの3枚です。ロゴはともかくとして、続く2枚は最終的な版の決定まで各10種程度のバリエーションを制作し、CHIFFS側に選択をお願いしました。

そのほかの作業は予定通りです。(B)エンドマークの後に残る不明瞭な映像の削除、そして(C)インタータイトル17カ所の位置調整(センタリングとフォント縮小=上画像 before/下 after)、同じく17カ所についてはコマ伸ばしによるフローズンタイトルの不自然さを回避するため、レタッチをおこなってバックを黒ベタに。すると、パラ・キズが完全に消えることから違和感が和らぎ、予想以上の効果にほっと胸を撫で下ろしました。揺らしのテストも同時におこないましたが、わざとらしさが出てしまうので実際には使用しませんでした。
以上の加工はすべて小会正会員の飯田定信によるものです。
