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MoMA アイリーン・バウザーに聞く「専門職としてのフィルム・アーカイヴ活動」

2006/9/10 | admin | trackback

アーカイヴ活動と学術研究の融合

RM:映画史研究についてお聞きします。あなたの特筆すべきMoMAでの功績は、アーカイヴ活動と学術研究を融合させたことだと思うのです。これはどのように、またどこから始まったのですか?

EB:必要となる調査の規模からいって、これはグループ作業でなくては片付かないと悟ったのです。モントリオールでFIAFのシンポジウムがあったとき(1974年)、テーマは映画史の方法論で、私はその代表に選ばれました。そこで二つの考えを述べました。まず、映画史研究にはチームワークが不可欠であること。何しろ広範に渡るので、個別におこなってどうにかなるものではないのです。次にすべての世代が新版の映画史を創造すべきであること。映画史は世代によって次々に書きかえられるべきなのです。実際に現在の映画研究の潮流を生んだのは1978年のブライトン会議*1からでした。これはデイヴィッド・フランシス*2の功績ですが、私も全面的に彼をサポートしました。ブライトン派からはじめて、しだいに研究範囲を1900年から1906年製作で残存する作品へと広げていきました。私自身も映画史家として、過去にさかのぼることに意義を見出していました。現在に留まって、みたことのある映画から考えるのではなく、過去を振り返るのです。もちろん、過去に戻って映画をみることは現実には不可能ですが、そうしようと試みることで、実際にその現場には行けないとわかっていても、当時の人々がどのように映画をみていたのかを理解することはできます。

長年に渡って研究者がみることのできなかった映画の保存や復元をアーカイヴがおこなってきたからこそ、ブライトン会議は実現をみたのです。ここでようやくそういったフィルムを上映するチャンスが生まれ、映画保存活動がフィルムと映画研究者を引き合わせることで、まったく新鮮な上映体験を生み出しました。MoMAはアメリカからそのプロジェクトに協力することになり、会議の準備のために北アメリカの研究者を集めて、みせられる限りの作品を上映しました。ヨーロッパでは会議の直前までその準備ができませんでしたが、アメリカでは会議前の6ヶ月間に渡り上映会をおこないましたから、それまでに計画を練ることができました。

RM:研究者を集めたということは、それ以前から研究者らと面識があったわけですよね。

EB:ありました。古いフィルムに興味のある、または、興味のありそうな研究者を、知っている人の中から選びました。例えばニューヨーク大学の学生や、アンドレ・ゴドローなどです。彼とはモントリオールのFIAFシンポジウムで出会いました。ほとんどがMoMAに顔を出していた人、私が個人的に知っている人、私が優秀な研究者と認めていた人で、初期の映画に興味を持つ人たちです。トム・ガニング、チャーリー・マサーはニューヨーク大学のジェイ・レイダの教え子です。ジェイ・レイダが二人を初期映画へと誘ったことは言うまでもありません。サンフランシスコから参加したジョン・フィルは MoMAでの上映に際して「人生最良のとき」という感想を漏らしたほどです。一人孤独に研究している研究者の問題を解決するためにも、彼らを映画ファンのように一所に集める必要があります。小規模で気軽な集まりからはじめると効果的です。そうすれば映画の途中に声をあげて議論することだってできます。映画をみながらその場で話をするというのはとても有効な方法です。

RM:ブライトンであなたは上映付の研究発表をしたのですか?

EB:そうです。ヨーロッパの研究者と北アメリカの研究者がシンポジウムの前日に顔をあわせて、再度映画をみました。アメリカ側が選んだ作品やヨーロッパ側が用意した作品を、です。この二つのグループが翌日のシンポジウムで上映すべき作品や論文を選定しました。ブライトンではじまったこの動きは留まるところを知らず、参加者はポルデノーネ*3に移りました。古典映画に興味をもつ研究者のグループであるDomitor*4も設立されました。今日ではブライトン会議は歴史的な出来事だったといわれます。その場に立ち合えたのは幸せなことでした。もっとも、当時はここまでの成果が将来生まれるなどということは知る由もありませんでしたが。

RM:ブライトン会議はあなたが「The Transformation of the Cinema」*5を書くきっかけになりましたか?

EB:そうですね。本の根底にある思想はブライトンの経験から得たものです。何らかの本を書きたいとはずっと思っていましたし、それまでの出版物はすべて誰かとの共著でしたから、自分自身の本が出したくて仕方なかったのです。私のエゴがそれを要求していました。ですからそのチャンスが巡ってきたらぜひ実現させたいと思っていました。1年がかりで調査から執筆まですべて自分1人でおこない、人生で最も幸せな1年であったといえるほどに楽しい仕事になりました。

RM:ということは、MoMAと研究者のあいだの交流がはじまったのはブライトンからというわけですね。

EB:もちろんそうです。以来、映画史研究が蘇りました。当時は皆が映画理論に夢中でしたから、映画史なんてほとんど省みる人はいませんでした。映画史研究は今でも盛んで、おかげで、理論のほうが幾分色褪せてきたようですね。

RM:私は1970年代のコロンビア大学で映画を学びましたが、そこでは映画理論にもっとも重きが置かれていました。

EB:コロンビア大学は映画研究ではたいした成果を残していません。最も初期にフィルム・コースを設けた大学ではありますけれど。私はMoMAを退職してすぐに、ニューヨーク大学で講義を持ちました。映画史とも映画理論とも別のものです。教えることにあまり興味がない、と訴えたところ、たった5名の生徒からなるコースを創設してくれたので、結果的にはとても競争率の高いコースになったようです。これは私にとっての挑戦でしたが、映画保存を教えるという意味では満足のいくものにはなりませんでした。映画保存について教えるなら、やはり環境の整ったアーカイヴにいないとだめなのです。単にアーカイヴと共同で、というのでもダメです。もちろん、ある程度アーカイヴも利用しましたが、MoMAのスタッフにそこまでの余裕がないこともよくわかっていたので、それが心配で、躊躇していたところもありました。しかし、とても素晴らしい成果がもたらされたこともありました。学生と映画をみるために MoMAに出かけたとき、ピーター・ウィリアムソン*6が学生全員を彼の作業場に招待してくれたのです。彼はリワインダーに1本のフィルムをセットしました。ワーナーブラザーズのとても有名な劇映画です。学生にフィルムを示しながら、フィルム素材についての解説がはじまりました。フィルムの世代、そしてそれをどうやって識別するか。これは学生にとってまったく新しい経験だったと思います。1時間以上もその作業場でフィルムを巻き取っていました。それ以外のことでは、私はフィルムを直に触るような体験を学生に与えることはできませんでした。ですから、アーカイヴについて教えるなら、やはりアーカイヴの内部でおこなわなければいけないと私は思うのです。

美術館の中のフィルム・アーカイヴ

RM:いつも私が気にかけているのは、組織としてそれぞれのアーカイヴがまるで異なるということです。MoMAのフィルム部門というのは議会図書館ともジョージ・イーストマン・ハウス(GEH)とも違っています。この違いが保存プログラムの規模にも影響しているように思えるのですが。

EB: MoMAはFIAFの設立メンバーであることもあって、常にほかのアーカイヴのお手本とされてきました。それは誇らしいことです。MoMAの活動は常に尊敬の的です。昨今のように、MoMAの出身だといえば、MoMAへの高い評価はあなた自身への評価にもつながります。言ってみれば、私はキャリアのはじめからトップの座にあるアーカイヴにいたわけです。

RM:美術館の内部組織としてのアーカイヴであることに、何か限界を感じられることはありましたか?組織的なサポートという意味で、例えばMoMAと議会図書館などと比較してみて、いかがでしょう?

EB:国立のアーカイヴは往々にして安定したサポートを受けられるものです。東ドイツのアーカイヴ*7が常々、国立のアーカイヴがいかに安定しているかを説いていましたが、東ドイツに何が起こったか、考えてみてください。政府が崩壊すると同時にアーカイヴも崩壊してしまったでしょう。忌むべきことですが、この経験から学ぶべきことは多いと思います。私がこの仕事をはじめた頃、MoMAに政府の援助が欲しいなどと考える人は誰もいなかったのです。独立性を失うことのほうがむしろ怖かった。もちろん時には政府からの援助も受けることがありましたし*8、特別なプロジェクトにおける政府からの援助は、現在のMoMAには欠かせません。しかし、当時はそういった風潮はまったくありませんでした。

RM:あなたはキャリアを通して、かつては存在しなかった保存文化といったものが新たに構築されていく様を目撃されたわけです。過去20年の間に保存はビジネスにまで発展しました。もうこれは非営利のアーカイヴに留まる活動ではありません。大手映画会社、独立系の映像関連企業、そして大学と、猫も杓子もアーカイヴ活動に携わることを望んでいます。MoMAが映画保存の基礎を築いた時代を経験されて、さらに議会図書館やMoMAなどによる質の高い保存活動の発展も目の当たりにされ、そういった収穫の一方で何らかの損失もあるとお考えですか?

EB:口を酸っぱくして私が繰り返してきたように、映画保存に関わる人が増えれば増えるほど、より良い結果が期待できるのです。なにしろ、この仕事は本当にスケールが大きいのですから、単独の組織ではとても手に追えるものではありません。残念ながら認めざるを得ないことですが、皆が力を合わせたところで、すべてを成し遂げるのは不可能です。MoMAが絶大な信頼を寄せられている、とても恵まれたアーカイヴであることは認識していました。議会図書館やGEHは嫉妬にかられていたことでしょう。実際、議会図書館やGEHは目覚しい成果を残していましたが、どんなにがんばっても、MoMAほど注目を浴びたり、マスコミに騒がれたりということは滅多になかったからです。議会図書館やGEHの仕事が評価される時代になってきたことは、大変喜ばしく思います。とはいえ、特にGEHのように郊外にあるアーカイヴは、どう考えても不利だったと思います。ロチェスターという街は本当に辺鄙なところにありますから。

RM: MoMA全体の中でフィルム部門がどのあたりに位置するのかをお話しいただけますか。MoMAの内部には、映画がそのほかの芸術形態より劣るものだという暗黙の了解のようなものがありませんか?

EB:MoMAの設立にあたってアルフレッド・バー*9は、当然、フィルム部門を創設すべきだと考えていたそうです。開館前からフィルム部門の創設案があったのに、実現するには何年もの歳月が必要でした。理事会に対してフィルムも収集に値するものだと説得する必要があったわけです。私はフィルムの重要性が二次的なものだという意識は、アルフレッドの時代から続いていると思います。未だにファイン・アートの分野には映画に理解を示さない人もいますし、ほかの芸術を崇めてこそフィルムの価値が生まれる、などと考える人も中にはいます。つまり芸術についての映画であれば価値を認めてもいい、というような。

ほかに忘れてならないのは、美術館の中のアーカイヴという一面です。結局これに尽きるのでしょう。映画はみるのに時間がかかります。美術館に出向いて絵を数分眺めれば、それであなたは「絵画を鑑賞した」ことになります。もちろん、時間をかけて丁寧に鑑賞することもできますが、少なくとも数分あれば「絵をみた」といえるわけです。他の分野のキュレーターたちは、映画をみるのに時間を割くことに抵抗を感じるようです。ご存知のように、芸術作品がMoMAに収蔵されるときは理事会を通さなくてはなりません。しかしながら、少なくとも私がMoMAにいるあいだ、理事会では単に映画の題名を報告していたに過ぎません。まともな議論にはなりませんでした。映画をご覧いただけるようアーカイヴにご招待したところで、どなたも応じてくださらないのですから、ある特定のフィルムを所蔵するか否かで議論が生まれることも当然ありません。絵画部門がそうするように、理事を席につかせて作品をみせるということがフィルム部門にはできないのです。ですから、そうですね、フィルム部門は特殊なところです。だからといってこの特殊性が、映画がほかの芸術に劣るなどという思考に直結するとは思いません。映画に対する態度の違いというのは、作品としての性質の違いに所以するのでしょう。例えばフィルムは特別なフィルム倉庫に収蔵する必要があります。フィルムをみるためには映写機にかけて上映せねばなりません。こうしたことから、フィルム部門は美術館全体から孤立してしまうのだと思います。私がフィルム部門にいた頃は他分野の人たちとの交流がほとんどありませんでした。最近は交流が活発になっているようで嬉しく思います。例えば企画展との関連上映が増えましたが、私は関連企画を組むのが大好きで、「20世紀の芸術展」はとりわけ楽しい仕事になりました*10。私が映画のセクションを担当したのですが、こういった共同企画ができるというのは、まったくもって美術館の一部であることの利点です。

RM:MoMAの建築・デザイン部門のキュレーターだったアーサー・ドレクスラーが、フィルム部門に疑念を呈したことがありましたが、その件について語っていただけませんか。記録として残しておきたいのです。

EB:1960年代か70年代のはじめでしたか、MoMAの効率性に関する研究会の一員であるアーサー・デクストラー*11はフィルム部門を手厳しく批判しました。MoMAのすべての部門の代表者が出席する会議で、スタッフの誰もみたことのないような映画をこれ以上所蔵する必要はない、と発言したのです。彼は、すべての所蔵フィルムを閲覧するのに必要な時間まで割り出していましたが、発言だけで終わって本当に助かりました。

RM:冗談のつもりではなくて?

EB:大真面目でした。フィルム部門の仕事に対して少しも理解を示してくれませんでしたし、フィルムに関してはまったくの門外漢だったのです。

RM:私がおぼえているのは、デクストラーからあなたに対するこのような提案です。できるかぎりフィルムを放出して、残りのフィルムはループ状にロビーにつるすなりして展示をするという。

EB:そんなことも言っていました。フィルムへのアクセスを可能にするべきだという要請から、デクストラーはMoMAのフィルムをほかの所蔵品と融和するために、勝手な想像を膨らませていました。しかし先ほども述べたように、素材の特徴からいってフィルムはそう簡単にほかの所蔵品となじむものではありません。絵画を壁にかけるようにフィルムを展示せよという要請は度々あり、これは長年に渡る大論争として、未だにまともな解決にいたっていません。MoMAの他部門の展示とフィルム上映とを関連づけたいとは思いますが、展示室にフィルムを並べるというアイディアはいただけません。だってフィルムにはフィルムを上映すべき環境、つまり適切な劇場の暗闇の中、という必須条件がありますから、これは妥協の許されない問題です。お客さんは展覧会のためには展示室に行き、そして映画のためには劇場に行くべきでしょう。

RM:キュレーターはそこでビデオを解決策として持ち出すわけですね。あるいはフィルムを展示室で上映しようとする。

EB:でも、それが解決策になり得ないことは言うまでもありません。フィルムの最適な鑑賞方法ではないのですから。

RM:ほとんどの観客は展示室に何時間も留まって映画をみることはないでしょう。大抵は5分から10分程度です。

EB:つまり観客にとってはテレビと同じなのです。ちらっとみて歩き去ることに慣れてしまっている。

RM:では、映画は芸術であるとお考えですか?

EB:芸術です。私は映画史家としての教育を受けていますから、当然そう考えます。MoMAで働く前からそう信じていました。某所で研究発表をしたとき、質疑応答の時間になって「映画の芸術性をどう定義されますか?」という質問を受けたことがあります。はっきり言って勘弁してほしい、と思いました。私の答えはこうです。「手短かな回答をお求めかもしれませんが、その質問への答えだけで何冊もの本が書けるくらいです」。今でもその考えは変わりません。書物が芸術作品であるように、映画も芸術作品です。ゴミのような本もたくさん売られていますし、おそらく芸術作品とは呼べない映画もたくさんつくられているでしょう。しかし、そのような映画も時代の変遷を経て重要性を獲得することがあり、それ故に救済され、研究対象とされるべきなのです。とはいえ、間違いなく芸術の域に達したフィルムも一部にはあるはずです。その質問をした映画理論の研究者への回答のように、私が映画というテーマに興味をもつ理由は、まさにそこに集約されます。映画が芸術であるからこそ、映画の世界はとびきり面白いのです。そうでなければ、私は化粧品の歴史や機関車の歴史について研究していたかもしれません。機関車博物館に行けば、機関車の歴史も侮れないものだと思います。どきどきさせられもします。でもそれは芸術として扱われる種のものではありません。芸術性があることによって、はじめて私は映画に強く惹き付けられるのです。

RM:そういった考えは仕事にも適用されますか。言い換えると、仕事上扱うフィルムは芸術であって、そうでなければ収集や保存はしなくても良いとお考えですか。美術館の内部機関としてのフィルム・アーカイヴを運営するということに関して私がお尋ねしたかったことの核心は、まさにここなのです。大衆的な娯楽と、高尚な芸術の対立関係は「ミュージアム」という環境から生まれたのではないでしょうか?

EB:確かにその通りです。もっとも、ここで言い足すべきは、芸術的な映画とそうでない映画に境界線がない、という点でしょうか。芸術か否かの違いはかなりあいまいで、あやふやなものですし、それはどうしようもないことです。はっきりと分離させてしまえば、おそらく、芸術としての映画だけを集めることになるのでしょう。それはそれでよっぽど価値のあることなのかもしれません。でもそうはいかないでしょう。事はそう単純ではないのです。私が芸術作品だと信じるものが、ほかの世代にとっても同じであるとは限らないわけで、そういった洞察力は欠かせません。ただ、私の時代に、私が重要であると判断した作品には、ある程度の責任を持つことができます。なぜ判断に迷いがなかったかといえば、有難いことにフィルム・アーカイヴは他所にもたくさんあって、それぞれのアーカイヴで異なる考えをもつ様々なアーキヴィストが働いているからです。それぞれの活動が集約されて、フィルム救済のための仕事の達成に向けて、ようやく道半ばというところにきているのではないでしょうか。

◎日本語版にあたって……謝辞

この翻訳を実現するにあたり、MoMAのミッシェル・ハーベイさん、ロナルド・S・マリオッツィさん、UCLAの水野祥子さんにたいへんお世話になりました。記してここに感謝いたします。(翻訳・石原香絵)

  1. [訳]ブライトン(イギリス)会議報告書:Cinema 1900/1906 Analytical Study 国立フィルム・アーカイヴ(ロンドン)、国際フィルム・アーカイヴ連盟 ロジャー・ホルマン編(1982年 FIAF) [back]
  2. デイヴィッド・フランシス 1974-1989年:国立フィルム・アーカイヴ(ロンドン) キュレーター 1991-2001年:議会図書館映画放送録音物部門チーフ 1977年-:FIAF実行委員 [back]
  3. [訳]ポルデノーネとはイタリアの街の名で、ここが毎年、無声映画祭(Il Giornate del Cinema Muto)の会場になった。1982年にはじまったこの映画祭は現在サチーレに会場を移して毎年開催されている。 [back]
  4. [訳]Domitor=International Association to Promote the Study of Early Cinema 。設立メンバーはステファン・ボットモア、パオロ・ケルキ・ウザイ、アンドレ・ガウドロー、トム・ガニング、エマニュエル・トゥーレ。1990年にケベックで初の国際会議を開いた。 [back]
  5. [訳]The Transformation of Cinema, 1907-1915 History of the American Cinema, 2(1990年 Scribner) [back]
  6. ピーター・ウィリアムソン:1979年からラボ・コーディネーターとしてMoMAフィルム部門に勤務。その後、テクニカル・ラボ・コーディネーター、フィルム修復マネージャーを経て、現在はフィルム修復家という肩書き。 [back]
  7. [訳]東独国立フィルムアルヒーフ。1955年設立。 [back]
  8. [訳]MoMAフィルム・ライブラリーは、アイリス・バリーが担当したドイツのプロパガンダ映画の研究と、ジョン・アボットが担当したラテン・アメリカに向けたアメリカのプロパガンダ映画の製作と、第2次大戦中におもに2つの政府主導のプロジェクトを担った。 [back]
  9. アルフレッド・H・バーJr. (1902-1981): 1929-1943年:MoMA初代ディレクター 1943-1967年:ディレクター顧問、絵画彫刻調リサーチ・ディレクター、ミュージアム・コレクション・ディレクター 1932年6月24日付の「MoMAの部門の拡充に関するメモ」に、当時まだ実現していなかった部門についての記述がある。「1929年夏、MoMAの組織についての話し合いの場で、建築、映画、演劇、装飾、工業デザイン、写真、図書館を加えてはどうかとの提案がなされた」。 [back]
  10. [訳]1979年11月14日から1980年1月22日まで開催された「20世紀の芸術展」The Art of Twenties に合わせて、1979年12月3日から1980年1月27日にかけて Film from the Archivesが開催された。 [back]
  11. アーサー・デクストラー(1925-1987): 1951-1955年:MoMAキュレーター 1955-1986年:建築デザイン部門ディレクター [back]

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