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増幅する『メトロポリス』に関するノート

2006/9/7 | admin | trackback

アーカイヴ版と復元

最も多く流通したヴァージョンは、おそらくMoMAのプリントだろう。このコピーは、1937にウーファから受け取った2つ目のドイツ版のドイツ語字幕を英語字幕に置き換えることによって作られた。これらは当然のことながら、チャニング・ポロックによって書かれたパラマウントのアメリカ配給版の字幕よりもドイツ版に近かった。パラマウントのアメリカ配給版の中では、登場人物の名前までが変えられている。ポロックのヴァージョンでは、ヨー・フレーダーセンはジョン・マスターマンに、息子のフレーダーはエリックに、そしてヨサファトはジョセフになっている。MoMAのヴァージョンでは、主要人物たちはまた(というよりも、まだ)彼らのオリジナルの名前で登場している。早くも1938年には、MoMAのヴァージョンがロンドンのナショナル・フィルム・ライブラリー(現在のBFIフィルム・アーカイヴ)のためにコピーされている。このプリントは、国際アーカイブ連盟(FIAF)の相互交換の方針によってヨーロッパ全体に広がることになった。たとえば、初期に複製されたプリントがシネマテーク・フランセーズ(パリ)、シネマテーク・スイス(ローザンヌ)、それにベルギー王立シネマテーク(ブリュッセル)のコレクションに確認されている。1960年代に入って西ドイツで様々な音楽をつけて配給されるようになったのも、このロンドンのデュープネガから派生したコピーだ。

60年代には、パラマウントのアメリカ配給版もまた姿をみせている。東独国立フィルムアルヒーフによって、ベルリンでライヒスフィルムアルヒーフ所蔵の短縮されたパラマウント版のネガが複製され公開された。ベルリンからこのプリントは様々なアーカイヴへ送られ、上映されている。モスクワのゴスフィルモフォンドとプラハのチェコスロバキア・フィルム・アーカイヴは、協力して復元を行い、2,816メートルのヴァージョンを制作した。ポロックによって編集された版より短いとしても、これは東ベルリンのヴァージョンより完全に近いものとなった。*1 東独国立フィルムアルヒーフでは、エッカート・ヤーンケが1969年から1972年にFIAFの他のアーカイヴの持つ様々なフィルムを利用していわゆるFIAF版を制作している。*2 まだ満足のいくものでなかったとはいえ、これはより完璧な『メトロポリス』を目指す上での重要な一歩になった。残念なことに、この時点ではまだ脚本と検閲カードが見つかっていなかったため、この映画のフィルム自体に隠された謎を解くことはできなかった。この映画の編集の順序と失われたシーンの手がかりになるはずの伴奏音楽も、おそらくまだ資料として考慮に入っていなかった。*3 さらに、中間字幕が使用された様々なプリントのものそのままだったため、名前が映画の中で頻繁に交代するという結果になった。パラマウントのアメリカ配給版と、MoMAのパラマウント版に由来する名前が混在する結果になったのだ。ヤーンケはこの仕事の時に、使用した情報の不十分さから、致命的に誤った結論に到達してしまった。たとえば彼は、MoMA版の比較的簡潔な字幕は、ポロックが作った華やかなテキストよりも、フォン・ハルボウのものとの違いが大きいと考えた。今日、私たちはその逆こそが正しかっただろうということを知っている。その時使うことができたフィルムを調査した後、ヤーンケはFIAF版の基礎に彼のいう「ロンドン・コピー」を使うことを提案した。その中に、他のヴァージョンから取り出した失われたテイクを可能な限り加えていくというのがその方針だった。彼のレポートの中で使われているこの「ロンドン・コピー」という用語が意味するものははっきりしていない。なぜなら、彼はロンドンからMoMAのヴァージョンのデュープ・ネガだけでなく、イギリスの配給業者に由来するヴァージョン(ウーファの輸出用ネガ)も受け取っているからだ。*4

今日から見ると、東独国立フィルムアルヒーフ自身の所蔵していたパラマウントのアメリカ配給版から、画像的に優れたオリジナルネガを得ようとしなかったのは理解しがたいことに思える。それを正しいとされていたヴァージョンにあわせて再編集することもできただろう。おそらくフリッツ・ラングからの手紙がその原因だ。「復元の基礎としてロンドンのヴァージョン(MoMA版を指す、著者記)を使うという決定は大変正しいものでした。」ラングは1971年アーカイヴに宛てて書いている。彼はその中で、「いかに思慮を欠き、独断的な仕方でアメリカの配給業者がヨーロッパの映画を1920年代に取り扱ったか」の例としてパラマウントのアメリカ配給版をあげている。*5 当の映画を制作した監督の権威は、その手紙の中でラングが次のように認めているという事実によっても全く揺らぐことはなかった。「あなたたちの仕事の役に立つようなことはもう思いだすことができません」。その次に書かれているフィルムの足跡についての文章は誤っている。「ベルリンが占領された後、ラボに保存されていた私のフィルムは全てロシアに没収されてしまいました。このフィルムの中には『メトロポリス』の完全なコピーもありました。その上映時間は2時間4分でした。」この上映時間は二つ目のパラマウント・ドイツ版(3,241メートル、23fps)に対応している。すでに「思慮を欠き、独断的な」アメリカの配給業者による削除が全て行われた版だが、それでもラングはこのヴァージョンを「完全版」と言っている。彼はこの映画がもともとさらに30分、つまりは1,000メートル長かったということを本当に思いだせなかったのだろうか?

エンノ・パタラスによるドイツの古典映画を保存し復元する努力は長年に渡って多くの関心を集めてきた。これまでで最も成功した『メトロポリス』再構成の試みはミュンヘン映画博物館での彼の仕事であり、私たちはその恩恵を受けている。それはパタラスが、東独国立フィルムアルヒーフのヤーンケとは異なり、この時期に発見された多くの2次資料を使うことができ、そこから失われた封切り版についての正確な情報を得られたためだ。2次資料とは、検閲カード、脚本、それに音楽を指す。長年に及ぶ不十分なフィルムを使った準備作業と集中的な国際的調査の後、1986年、1987年に、その成果となるプリントがミュンヘンで編集された。MoMAからのナイトレートのデュープネガを基礎にし、他の使用可能なヴァージョンからの失われたシーン、つまりオーストラリア版のデュープネガとイギリスのオリジナル公開版のコピーに含まれたシーンを組み込んだヴァージョンが作られた。また、このとき、検閲カードの中に発見されたテキストに忠実な、新たに撮影された中間字幕が加えられた。*6 このヴァージョンは3,153メートルの長さになった。したがって1927年のドイツパラマウント版より短いものだった。しかし、残っている部分を理解するのに必要なだけ、テキストとスチール写真で失われたシーンを補足し、編集は可能な限り封切り版に近づけられた。この復元版は世界中を巡回し、多くの場合新たにベルント・ヘラーによってアレンジされたゴットフリート・フッペルツの音楽とともに上映された。

  1. [原]Note from Vladimir Dmitriev of the Russian organization Gosfilmofond to the author, 1998. プラハには(ベルリンからのものか?)パラマウント版の短縮版が所蔵されており、ゴスフィルモフォンドはこのプリントにベルリンで1945年に接収し後に返却したオリジナルネガからの断片を可能な限り加えた。 [back]
  2. [原]クレジットには、FIAFの後に、東独国立フィルムアルヒーフに並んで、次のアーカイブがあげられている。ナショナル・フィルム・アーカイヴ (ロンドン)、 チェコスロバキア・フィルム・アーカイヴ(プラハ)、ゴスフィルモフォンド (モスクワ)、ドイツ映画学研究所 (ヴィースバーデン)、ドイツ・キネマテーク財団 (西ベルリン)、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、Archion Israeli Liseratim (ハイファ)。 [back]
  3. [原]ZDFテレビジョンは1967年の時点でフッペルツのスコアを所有しており、70年代の初めに東独国立フィルムアルヒーフに渡したとユルゲン・ラベンスキ(ZDFテレビジョン、マインツ)は述べている。しかしながら、現在ブンデスアルヒーフ=フィルムアルヒーフにあるFIAF版についてのファイルにはこのスコアを示す記述が全くない。ヤーンケの最終的な報告にもこのスコアへの言及はない。このことから推測できるのは、調査が終了した後にスコアがアーカイブに到着し、テレビ放映の際サウンドトラックをつけるのにだけ使われたということだ。 [back]
  4. [原]Note from Elaine Burrows (British Film Institute, London) to the author, May 11, 1998. この箇所で述べた東独国立フィルムアルヒーフによるヴァージョンに関係する情報は、全て復元についてのヤーンケのファイルによっている。このファイルは現在ブンデスアルヒーフ=フィルムアルヒーフに所蔵されている)。 ただし、残されている記録から、このコピーがMoMAのものを指していたに違いないということが明らかになっている。MoMAは東独国立フィルムアルヒーフに対して1937年のデュープネガを提供していたのだが、だれもこれがロンドンに所蔵されている同一のマテリアルより2世代分よい状態にあることには気づかなかった。結果として、FIAFヴァージョンは他の問題に加えて映像的観点からも不満足なものになった。 [back]
  5. [原]Fritz Lang to Wolfgang Klaue (Staatliches Filmarchiv der DDR), January 23.1971, in the Bundesarchiv-Filmarchiv, file on the reconstruction of Metropolis. [back]
  6. [原]20年代のドイツ映画は全てその地域の検閲局を通らなければならなかった。その過程を文書化したものが検閲カードで、検閲局に申し込んだ制作会社の名前、クレジット、インサートなどの映画の中の文字情報、同様に全ての中間字幕が記録されている。いくつものドイツの古典映画を復元するのに検閲カードははかりしれないほど役立ってきた。 [back]

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映画保存協会(FPS)は、映画フィルムを文化財として保存する活動に取り組んでいるNPO=特定非営利活動法人です。

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