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増幅する『メトロポリス』に関するノート

2006/9/7 | admin | trackback

現れては消える『メトロポリス』

メトロポリスの祭典のような封切りは1927年1月10日にベルリンのウーファ・パラスト・アム・ツォーで行われた。そのときのフィルムの長さは4,189メートル(13,823フィート)で、映写速度は24fps(映写速度については推測するほかないが)、上映時間は153分だった。*1 伴奏音楽として、ゴットフリート・フッペルツ作曲による大規模のオーケストラ用の曲が演奏された。このオーケストラのスコアとピアノ用のアレンジは、それが含む多くのキュー*2のために、封切りヴァージョンのより正確なデータを知りたい者にとっては重要な情報源の1つになっている。*3

早くも1926年の12月には、アメリカにおけるウーファの代理人であるフレデリック・ウィン=ジョーンズが『メトロポリス』をアメリカに持ち込み、このフィルムをアメリカで配給しようとしていたパラマウント社に見せている。この記念碑的なフィルムをアメリカ市場向けに「普通の」長さに短縮するという決定が直ちに下されたことは明らかだ。劇作家であるチャニング・ポロック*4にこの仕事は依頼された。彼の行った変更は抜本的なものにほかならない。まず資本家ヨー・フレーダーセン(アルフレート・アベル)と科学者兼発明家のロトワング(ルドルフ・クライン=ロッゲ)の間の基本的な争い、つまり死んだ女ヘルをめぐる争いが完全に削除された。それは同時に機械の女を作る理由づけも失われたということを意味した。最後のメトロポリスの崩壊も削除された。*5 同様に、痩せた男(フリッツ・ラスプ)によるフレーダー(グスタフ・フレーリッヒ)、ゲオルギー(エルヴィン・ビスヴァンガー)、ヨサファト(テオドール・ロース)の追跡のシーン、それにメトロポリスの花街「ヨシワラ」でのシーンの多くが取り除かれた。さらなる削除は最後の長い追跡シーンを含んでいる。こうした短縮が加えられた後、再び映画の一貫性を取り戻すために、中間字幕(インタータイトル)の抜本的な変更と、場合によっては、残されているシーンの編集の重大な変更が必要とされた。全ての変更がなされた後、アメリカ版のフィルムの長さは大体3,100メートル(10,320フィート)になった。ポロックは次のようにこの仕事を要約している。「私が構造的なレベルでの編集を始めようとしたとき、メトロポリスは抑制と論理というものを欠いた作品だった。象徴的意味づけに支えられたこの映画はとても混乱していて、観客はそれが全体として何についての映画なのか説明することができないほどだった。私はそれに私の意味づけを行ったのだ。」*6

数週間後、『メトロポリス』のベルリンでの公開は中止された。その理由はいまでも明らかではない。おそらくはここでも、映画の過度な長さがドイツの他の地域での公開の障害になると感じられたのだろう。1927年4月の7、8、それに27日にウーファの取締役会はこの映画についての会議を開き、「共産主義的な傾向を本質的に持っていた字幕を削除したアメリカ版」をドイツでも使用することに決定した。*7 現在残されている資料には、フリッツ・ラングがこの映画の2度目のドイツ版に関わったかどうかについての記述はない。編集と試写と再編集を頻繁に行った人々のリストに名前がまったく見られないことからも、ラングが参加していたとは考えにくい。1927年9月のロンドン滞在の時、イギリス人ジャーナリストによるインタビューの中で、ラングが遠慮無しに彼自身のプロジェクトに起こったことに対して不満を言っていたことはよく知られている。「私は映画を愛している。だからアメリカに行く気はない。アメリカの専門家たちは、私の最良のフィルムであるメトロポリスをズタズタにしてしまった。イギリスにいるうちにあえてそれを見たいとは思わない。」*8数十年後、ラングはメトロポリスを「もはや存在しない」映画とまで言っている。

アメリカ版を基にした大幅なカットと、必要に応じた中間字幕の変更の加えられた『メトロポリス』は、ベルリン映画検閲局に1927年8月5日に提出された。その後3,241メートル(10,695フィート)の長さで公開された。ベルリンの外では、このヴァージョン、あるいは同じように短縮された輸出用ヴァージョンだけがこれまで上映されてきたことになる。

メトロポリスの封切りと、それとほとんど同じ時期になされたオリジナル版の破壊から70年以上が経過した。この最も有名なドイツの無声映画は、同じように有名な歴史書の事例にもなった。これまで40年以上に渡って、映画アーカイヴは現存する短縮版から新たなより完全なコピーを作る努力をしてきた。これらの努力を跡づけることは難しい。なぜなら、これらの版について、少なくともこれまでは、正確に文書化されることがなかったからだ。ただ、世界の映画アーカイヴに保存されている様々なヴァージョンの比較を行うことによって、フィルムそのものから、オリジナルに加えられた変更を、その変更からオリジナルの状態に戻そうとした試みと同じように推測することができる。もちろん地球上に存在する『メトロポリス』の無数のコピーを全て見ることは不可能だし、する必要のないことでもある。それよりも、これらのコピーのもととなった現存するナイトレートのソースを選び出しそれに集中する方がいい、そう私は考えた。

『メトロポリス』の宣伝で、ウーファの広報部は620,000メートル(2,046,000フィート)のネガフィルムと1,300,00メートル(4,290,000フィート)のポジフィルムをこの映画の制作に使用したと自慢している。これを封切り時の長さの4,189メートルと比較すると、撮影に使用したフィルムと完成時のフィルムの比率は148:1だったことになる。このデータが正しいとすれば、ウーファはよくないと判断したショットを十分に取り除けなかっただけでなく、映画産業の慣例に反して2倍以上のラッシュ用フィルムを使用した。そう考えなければ、このように多量のフィルム使用を説明することはできない。これらの数字は、フリッツ・ラングについての、彼をサディスティックな俳優の調教師や遠慮のない資金の浪費家として性格づける伝説を補強するものではあるにせよ、もっともらしい数字ではない、とも言ってもいい。ラングの映画撮影に立ち会った人たちは、一致して彼は俳優たちに消耗の限界まで同じシーンを繰りかえさせたと言う。『メトロポリス』の中では、2人の新人ブリギッテ・ヘルムとグスタフ・フレーリッヒが主要な役に配されているから、過度な程にリハーサルが行われ、多くのフィルムが使用されたというのも信用できるように思える。この映画の美術監督であり、現実的で冷静な記録者でもあるエーリッヒ・ケッテルフートは、ラングに対して極めて批判的な態度を取っている。彼によれば、ラングは、「演技の基準を含む彼の期待に完全に叶ったテイクを少なくとも3つ撮る」までは満足しなかったという。*9 ケッテルフートによる『メトロポリス』制作についての長文の報告で全く偶然にもなされているこの観察は、ラングが雇用者に提供するものを持った意識的なプロであったことを証明している。彼はどのショットにも3つのよいテイクを保証したのだ。

最初から3つのネガを同じように作ろうという計画があったという可能性はとても高い。つまりひとつはドイツ市場のため、もうひとつはウーファの輸出部のため、そしてもうひとつはこのフィルムをアメリカで公開することになっていたパラマウントのためのネガ。当時、いくつかのネガの平行した制作は一般的な慣例だった。そう考えた場合、620,000メートルのネガフィルムは3つのオリジナルネガのために使われたことになり、使用されたネガと編集後のネガとの比率はまだ極めて大きくありそうにない数字ではあるが、49:1にまで減ることになる。当時はまだ複製用の良質の素材がなかったため、いくつかのネガを最初から持っている場合にだけ、多くのコピーを作ったり、外国の配給業者がコピーを作るための輸出用ネガを制作することができた。これらのオリジナルネガは、近接したカメラによって平行して撮られたものか、同一ショットの別テイク(芸術的に同じ水準に達していても決して同一ではない)のモンタージュから作り出された。不完全なコピーしか現存していない場合には、このようにフィルムがいわば何度も作られたということは大変幸運なことだ。ただ一方で、複数のネガがあるということは、演技、カメラの位置、時間的な長さ、コンティニュイティの点で異同を持つ複数のヴァージョンがあるということを意味している。それはマテリアルを組み合わせようとするときに大きな問題を生み出すことになる。さらに復元者は倫理的な葛藤にも向かい合わなければならない。つまり、いくつものネガを寄せ集めることによって、自分はこれまで存在しなかった形の映画を編集しているのではないか、というジレンマを持つことになるのだ。

  1. [原]封切り時の映写速度ははっきりしていない。フッペルツによって短縮後のヴァージョンに合わせて短くされたピアノのスコアには映写速度28fpsと記されている。これは短縮版のスピードを速くし、結果として上映時間を短くするためだったと考えられる。封切りに立ち会った映画評論家のローランド・シャハトは、上映時間は140分程度だったと報告している。 [back]
  2. [訳](・シート):キュー・シートは無声映画の伴奏用に使われたもの。各シーンの長さと演奏されるべき曲名が記述されている。ここではスコアに演奏用の助け(キュー)となる様々な情報が記されていたということ。 [back]
  3. [原]フッペルツによるオリジナルのスコアとピアノ伴奏のスコアは、ベルリン映画美術館=ドイツキネマテークのアーカイブに所蔵されている。ピアノのスコアのコピーについては、他にもたとえばプロイセン文化財団ベルリン国立図書館やドイツ映画研究所(フランクフルト・アム・マイン)といったアーカイブや図書館に所蔵されている。 [back]
  4. [訳](1880〜1946)アメリカの劇作家・批評家。 [back]
  5. [原]「ドイツ映画の修正を支持する」というランドルフ・バートレットによる1927年3月13日ニューヨーク・タイムズの論説は、様々な罪状を正当化している。この論説から、「Hel(ヘル)」という名前が英語の単語「hell(地獄)」に似ているということがこの人物を映画から消し去る主要な理由だったことが分かる。信じがたい事実だ。彼女の墓石の上に特殊効果として表れるところにしかヘルの名前はでてこない。ここはアメリカ版のテキストを使った再撮影が比較的簡単にできたはずのところだ。 [back]
  6. [原]”Channing Pollock Gives His Impressions of Metropolis”, press release of Paramount Pictures for the film Metropolis. A transcript exists in Bundesarchiv-Filmarchiv, file on the Reconstruction of Metropolis (from Staatliches Filmarchiv der DDR). [back]
  7. [原]Bundesarchiv, file R 109 (Universum Film AG), 1026a, “Notes on Board Meetings”, no. 3 (April 7, 1927), no. 4 (April 8, 1927), and no. 17 (April 27, 1927). [back]
  8. [原]Sunday Express, September 25, 1927; quoted in Jeanpaul Goergen, “Der Metropolis-Skandal. Fritz Lang und Metropolis in London, September 1927″, Filmblatt 6, no. 15 (2001). [back]
  9. [原]Erich Kettelhut, Memoirs. Unpublished typed manuscript in the archive of the Filmmuseum Berlin Deutsche Kinemathek, p. 596. [back]

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